風と建築  心地よい風を感じる家

2004年7月〜12月にかけてINAXギャラリーの「風と建築」巡回展(大阪、名古屋、東京)が開催されました.
その際にブックレット「風と建築」も刊行されて、シーダ・バーンが実施作品例として説明文とともに掲載されています.
東京では12月8日に講演会の機会に恵まれたため、本に掲載された説明文を,もう一度わかりやすくスライドとともにお話しました.
ここではその講演録を解題としてお読みください.
INAXギャラリーの関係者の方々には、数ある建築の中からシーダ・バーンを選び抜かれ、
長期にわたりお世話いただき感謝の念に耐えません.
この場を借りて,お礼申し上げます.
(文中太字部分が本文です.なおスライドは現在準備中です.少々お待ちください.)



解題

(経歴) 長い間建築をやってきました。今から思えばあっという間ですが、約35年です。独立して個人住宅やマンション設計を経て今の家づくりで7年です。私自身この5年位ジージー啼いて発信している訳ですが、前の30年は地中にいる蝉の幼虫みたいなもんです。そんなふうに地味にゆっくりやってました。独立前は、学生時代から約20年間現代建築のデザインを考えていました。

(自然と建築/修行時代) 1970〜80年代のことです。メタボリズムで有名な菊竹先生ですが、80年代はよく自然換気自然採光を唱えてられました。しかしほとんど誰も(所員も含めて)そこに注目しない状況でした。現代建築ですから、省エネのデータ取りとかエコロジーとかパッシブとか、もう少し次元を上げて環境論でいけば時流に乗ったのでしょうが。まあ大建築家ですから、環境建築というカテゴリーで括られるのも本心ではなかったというところでしょうか。
(軽井沢) 1980年前後軽井沢の高輪美術館の設計監理を担当しました。まだ力不足なのに背伸びしすぎて、結構つらい想い出の現場でした。特に夏はクーラーがなくても涼しいという保養地ですから、自然との調和がテーマでした。自然採光と人工採光の部分を二つに分けて、これは自然採光の部分です。腰屋根がありますし、大形のサッシは一部開閉可能です。その時、不思議な感覚を経験しました。運営は当時飛ぶ鳥を落す西武百貨店ですから、ショップとカフェテリアはアールヴィヴァン(というブランド店)だったんです。そのカフェテリアの窓のデザインを先生に「欄間付き引き違いアルミサッシにしなさい」と言われて、違和感を感じた訳なんです。何しろモダンアートの先端(オープニング展示はデュシャン)を行くような現代美術館のレストスペースに欄間付き窓ですから。もう少し金をかけて大型開閉サッシにしたら良いのに、と当時は思いました。ドイツ製の大型窓もよく使っていただけにです。普通のアルミサッシも引き違いになると部材がごつくてダサいわけです。しかし自然採光自然換気という命題は密かに真面目に取り組んでいきたい私自身だったのですね。そのズレの感覚がずーっと残ってきたんです。

 昼下がりの風が吹き抜ける縁側に面した座敷で、蝉の啼き声にまどろんだ少年の頃の記憶。生家の隣に初めて家を建てるにあたって、真夏のあのゆったりと吹き抜ける風の心地よさは忘れがたいものであった。

(座敷) シーダバーンを作ってから、ことあるごとにこんな言い方が口癖になっていますが、これがその座敷なんです。私の感じる心地よい風とは、もうたっぷり十分な量の風が第一なんです。それを可能にしているのが、昔といっても、たぶん1940年前までのつくりの住宅でした。これは日本建築だけでなく東南アジアの特徴だろうと思いますが、残念ながら戦後はその伝統が急速に絶えてしまったんです。住宅ではないですが、四阿(あづまや)とか渡り廊下なんかでも感じるものです。特に南北両サイドに庭があって、縁側があって座敷があるという段階的,重層的な造りが日本建築の特徴だったと思います。そんな家の中で過ごした幼少期が、30年経ってみて、忘れがたいものになっていたと気づくんです。

(歳月) 何故30年という歳月が流れたのかです。先程、学生時代を含めて20年間現代建築のデザインを考えたと言いましたが、やはり菊竹事務所時代のことが大きい訳です。菊竹先生は日本文化、特に木造については同世代の誰よりも造詣が深かったと思います。度々思い出すのは、「鳥居」の話です。これは田辺泰という建築史家の受け売りのようですが、私は菊竹先生の捉え所に感心する訳です。「日本建築を象徴するものとして、よく大黒柱が引用されるが、システムとして見るとやはり鳥居であろう」なるほど柱、桁だけでなく、貫という部材が入り、束や楔までが示されている、これは日本の木造架構のシンボルであります。それが神社のもっとも最初の門として誰もが確認できるわけですから、木造への畏敬の念の表明なわけです。この話から後に貫構造の住宅設計にのめり込む訳です。
 事務所に入ってからですが菊竹先生のこのような日本建築へのオマージュとその後の現代建築に挑戦するスピリットが大好きになったわけです。ですから木造はほとんどタッチしない代わりに、鉄骨やコンクリートでその木造文化の特徴を表現できないかがテーマだった訳です。

(コミュニティバンク) これは京都信用金庫の一連の建物のひとつですが、約50以上の店舗がコミュニティバンクというテーマで展開されまして、私は20位は担当したと思います。屋根はアンブレラストラクチャーといって標準化されたディテールを繰返し使って様々なバリエーションを考える、或いは解体したり移築したりという木造の現代建築への転用を試みたというものです。地域によって違いはあるが標準のデザインの繰り返しを基本とする、あたかも木造建築のフレーバーがあります。しかし理想と現実は大分違っていたんです。まあこれについては先生の名誉のためにもこれ以上深入りしませんが。

(現代木造住宅) ところが独立してからは、皮肉にも入ってくるのは本当の木造住宅ばかりなんです。日本人の9割は木の家を望んでいるという実感、現実なんです。ですから当初は戸惑いました。何せ大学、実務を通して木造建築はほとんど身についていなかったからです。しかしながら数年経験して木造にも慣れると、今度は耐震性とか断熱性とか耐久性とかエネルギー効率とか科学的知識を駆使して施主の要望に答えるところまで来た訳です。木造であってもビルとかマンションとかと共通な価値観だとされて教えられ、また実務に反映させて来たからです。これは私だけでなく、建築のインテリはほぼ全員そうなんです。科学的な合理的思想が裏づけにあるわけです。
 科学と言う言葉はsci+enceですから「知ること」という意味ですが、明治の日本人は大変教養が身についていて、これを科目ごとに学ぶとした訳です。大学では学科として分けて知ると言うことです。建築学科とか住居学科。それを経て「総合」するという方法論です。難しく言えば、分解してから組立てる、機械論的な要素還元論になる訳です。ですから複雑な現代建築を設計する方法としては最適なんです。こういったビルディングエレメントとでもいうものを統合する主役として建築家の存在が必要なんです。

 しかし自分が生まれ育った戦前の家のつくりと、今まで学んできた設計手法を比較すると何から何まで違うことに気が付いた。ひと昔前には当たり前のように使われていた無垢の柱、床板そして土壁は新建材にかわり、開放的な縁側は壁としなければならない。蚊取り線香の匂いや蝉の声と共にあの風を呼び戻したいノノいつしか築80年の生家のつくりを注視するようになった。

(ひと昔前の住宅へ) ある時、この方法論のままでは昔の民家や寺社のもつ空間の迫力には到底及ばない、どうしてだろうと力不足を痛感するとともに焦りを感じたのでした。昔の木造民家は科学的アプローチされていないですよね。材料も限られているし住まい方も自然に寄り添う形です。現代住宅の様に材料や工法の性能やコストがデジタルに判定されるなんてありませんから。だけれども、住文化という観点から素材や空間を主体に比較した時、その魅力はどうだったか。私の場合は、古民家ではなくいわゆる昭和初期の近代和風と呼ばれる和風住宅に生まれ育ったものですから、縁側のガラス戸の連続性とか間仕切りの融通性と玄関の格式とか柱と壁のコントラストとかが印象に残っていますが、冬寒いとか昼暗いとか障子に目ありなどと住み難い部分を合わせもっている。清濁合わせ呑み込む必要がある訳で、その点欠点のリカバーされた現代住宅にはかなわない訳ですが、無垢材や建具の造作のレベルは凝ったもので、もう今となってはつくれといっても出来ないものも多いんです。

(岐路) さて、1997年の夏だったか、その近代和風の生家の北隣に自邸を建てるとなって、自問自答したんです。今まで20数年間学んで来た科学的家づくりにするか、目の前にある一昔前の家を手本とするかです。建築家の自邸ですから、来客の誰もが注目するでしょう。逆に言えば、自分自身の本音がバレバレになる危険性がある訳ですね。やはり、生まれ育ち、齢90を越す両親が二人だけで守って来た隣の家しかないだろうと、思ったんです。自分自身の体験や言葉で表せない雰囲気までも把握している家だからこそ、他人にはまねのできない、或いは他人に批判され難いデザインを目指せると考えた訳です。裏をを返せば、この現代にあっては誰からも容易には認めてもらえない、という危惧も孕んでいたらもしれません。 

(震災)
 その頃は、阪神淡路大震災から2年経った頃でした。木造住宅バッシング、瓦バッシングなんかが最盛期でした。まさに新しい科学的な木造住宅が模索されていた時です。何故なら震災直後から崩壊した家屋に専門家の調査がはいって、どうやら在来工法をきちんと守っていないつくりの家が崩壊したんだというような論調が主だったものになったんです。ですから正しい筋交いの留め金具とか耐震壁のバランスとかが重要だと言うことになったんです。これはこれで正論なんですが、悲しいことに科学的に正しいことが全てであるような雰囲気になっているんですね。私の生家は、壁バランスも悪いし筋交いも入っていないわりに、毅然として揺れに耐えて老夫婦の暮しを守っている訳ですが、そういう事件事故がない所には誰も取材や調査には来ないんです。なおさら、自分がそこの所を訴えつつ受け継がなきゃなぁと考えました。

(貫工法) ちょうどその頃には震災関連の本なんかが発行されていて、種々の木造の工法特徴が書かれている本を買い漁っていました。中でも建築知識ムック「地震に強い木造住宅設計マニュアル」という本です。貫工法とか外壁に柱を顕わす真壁工法などへの、また傾いた家を引き起こして住み続けることへのエールが感銘を与えてくれたんです。夜も寝られないくらい頭の中から離れないんです。特に貫工法は、その水平性が気になってしょうがない。菊竹事務所時代以来、水平のデザインは日本文化の特徴として最も大切にしてきた原則ですから。
 
 瓦と壁土を若干落としながらもあの阪神大震災に耐えた昔ながらの家は、もともと避暑地の別荘風に建てられたせいか、今で言えばグラスハウスとでも呼びたいくらい壁が少ない。2階は欄間、腰窓、地窓と3段の引き違い窓が連なっていて、両親がこまめに開け閉めしていた。老朽化して垂れている横桟が構造材になったらよいのにノノ。日本の伝統木構造は柱を横木ではしご状に貫き楔で締める貫を多用し、地震の揺れに逆らわない柔構造と聞いた。寺社仏閣に多く見られるように東洋の思想そのものである。新しい家も伝統的なつくりの木の家にして、風を呼び込もう。

(グラスハウス)
 この家は大正14年の上棟という棟札がありました。施主は田村さんと言う人でたぶん大阪商人ではなかったかと思います。当時芦屋の大きな家といえば皆別荘で、この家もそのように使われていたのを、戦後すぐに父が購入したんです。父はこの応接間を客用として文字どおり使っていました。本玄関脇に応接間があり、外観は和風で統一され、室内は大工が和風の寸法を意識して作ったものです。若くして洋行し欧米ファンの父でしたが自宅はあくまで日本風、当時流行の洋館付きではないところを、こよなく愛していたようです。1,2階とも縁側付きで大きな連続引違いが特徴で、北側の部屋はともかく冬暖かく夏涼しい縁側であったことはたしかです。

(シーダバーン)
 自邸の愛称も考えておきたかったんです。年を経ると誰でも日本回帰という心情になるもんでしょうか。私も、小さい頃は寺社仏閣が大嫌いで、また芦屋と言う住宅地や明治人の父親逃れで大学は東京に行かせてもらって一人暮らしをしたんです。三畳間でした。団塊の世代と言うこともあってアメリカ文化には影響大でした。いわゆるビートルズ前後のポップス音楽は人生観そのものといえるほど特別でした。それまでの分業化されたショービジネスの音楽と違って、作詞作曲演奏からジャケットデザイン、ライフスタイルに至るまでトータルに音楽が表現されたんです。レコード産業という現代社会、資本主義社会の申し子を利用しながらも、自らのスタイルは別物といった感覚が受けたんですね。私も自邸を設計するなら、少々アメリカナイズされたものにしようと考えました。その内容が、ぱっと、イメージできる題名で。しかも広告宣伝でもない。かといって文化でもない。その境界線があいまいな現象をつくり出そうと思ったのも、この新しい音楽現象の影響があったからですね。 

 高級住宅地とされる芦屋でも見栄や飾りを気にしたくない。植林されても使うあてのない節ありの杉材でつくられ、時々の風を受けて素朴に暮らすこの家を、私は「葦のまろ屋」をもじった「杉の納屋」の意味を込めて「シーダバーン」と呼ぶことにした。
 壁部分の4本の貫材を2本だけ残し、敷居鴨居として建具を取付けると欄間・腰窓・地窓の3段窓となる。雨戸も含めて開閉することによって、風量と風向を細やかに調整する。


(三段窓)
 ここであの、軽井沢の欄間付きサッシに感じた違和感が思い起こされます。現代建築のデザインなら、本来なら大形サッシかフィックスの大ガラスにして一部開閉するのでしょう。ところが欄間付きの引違い窓ともなれば、鴨居桟の見附面が目立ってしょうがない。ところがもし、これが貫であって構造的に意味があるのなら話は180度違ってきます。創造的モダンデザインとなるからです。構造と意匠、生活の合致と言う、3重の意味が重なる。まあ3つの科学が統合されるといった感じですね。言い換えれば、耐震性の貫工法が窓枠になって風を呼び込む、そのデザインがまた絵になったら凄い訳です。
 ただ大きな問題がありました。木の柱に直接木の窓を設置するのですから、雨は軒の出と雨戸で防ぐとしても、これでは昔のままの隙間風だらけの家になってしまいます。夏はよくても冬は大変ですね。最初はこう考えました。自分が生まれ育った家もそうだった。両親も何十年と冬をやり過ごし今も元気に生活している。すきま風とは人の体に健康と活力を与えこそすれ決して害するものではないと。後に、土瓶型住居とか昼間の日照を受けるグラスハウスとか理由付けが追加されます。最近では薪ストーブによる暖房もあって、隙間風問題は解消されつつありますが、当初はよく問題視されたものです。
 結局、外部の自然というものをどうとらえるかなんです。まるで映画の様に居ながらにして外の景色を眺める必要はない訳ですね。むしろ、ナイーブにいつも外とつながっていたいというのが住まいの基本ではないかと思うんですが、これを科学的に解析しデザインするなどは無駄ですし、困難だろうと思います。高層マンションの設計なら当然外部の自然とのつながりについては、力学的水理学的アプローチに限っていると思います。

(茶室的暮らし)
 古ガラスが今や骨董価値となって流通していると話を聞きます。昔は均一に製作できなかったので透明だけれども景色が歪んで見えると言うもの、私たち仲間内で、イビイビガラスと呼んでいます。ガラスのそこはかとない存在感が人気なんです。内外部を何かで仕切る場合、あまりに透明度の高い現代のガラスは人にとって魔物のような悪さをしてきました。視覚的には素通しですが他の感覚が遮られます。特に大ガラスや2重ガラスが困ります。多少不透明であったりしたほうが人に馴染みやすいのです。面取りの型ガラスや障子を使っているのは、茶室的発想から来るものです。通常のお点前では紙障子の窓を閉めたまま行われます。私は形式が嫌いなのでお点前をしませんが、その精神は好きですので、自分の暮しの中で実現してみたいと思っていました。1階の座敷がそうなっています。よく考えてみると、ガラスより紙の方が暖かいんですね。触って見ればわかります。それをデジタルな性能論でゆくと高価なペアガラスになってしまうから不思議です。現代科学技術は回りくどいんです。

 すべての窓は紙障子を貼るか不透明ガラスとした。ふだんは窓に移る光や影、通り抜ける音や匂いを感じるにとどめ、外の景色を眺めたい時は窓を開けるか、渡り廊下に出ればよい。風呂や洗濯場、離れの個室に行き来する屋根付きの渡り廊下はこの家の人気スポットである。たっぷりと風が通り抜け、夏には夕涼み、冬には凛とした気分に一時浸れるからだ。

(風の路)
 2000年から2002年にかけてボランティアで講演会や見学会運動に励んでいました。名前の最初に風をかかげ、ポスター写真は3段窓です。今から思うと風をキーワードに自分探しの旅をしてたんですね。シーダバーンに暮らしてからも、木造住宅についてまだまだわからないことがたくさんありました。人々に同じような家で同じような暮しをしてほしいと、つまりそういう仕事がしたいと思っても、自分だけの体験談だけでは説得力不足と思ったんです。本も大分読みました。パンフレットに書いてあるように、ヘレン・ケラーやレーモンドの言葉から、荘子やHGウエルズ。井尻正二などの言葉に気を止めました。陰影礼讃とか今西錦司の棲みわけ論にもひかれました。生の声が聞きたくて、様々な分野の先生をお呼びして考えを深めた訳です。成果はなかなかのモノだったと思います。面白かったと評判もいただけました。座敷を吹き抜ける風から端を発して、住宅の設計で風の存在はますます重要なものと分かってきたのです。風はたんなる風だけではないということを。

 自然からの贈り物を毎日届けてくれる風。呼吸に必須な新鮮な空気の流れは、熱や湿気、香りや音までも運んでくれる。人為的に操作加工せずありのままの風を受け止めることは、五感が刺激され日々の暮らしに活力をもたらすものではないか。瞳を閉じてみると雨音や木の葉のさやぎ、土の匂いや打ち水の湿り気、花の香りに虫の音が伝わってくる。文字や視覚情報に溢れる今の世の中にあって、なお風は高感度情報体なのである。風は目に見えないが、風の通った跡を辿ることはできる。夏には風鈴の音やよし簾戸を通して、冬には隙間風やガラスの揺れる音を感じつつ暮らしていきたいと思う。

(環境原論)
 建築学の中に環境原論という学問があって、これは建築設備を学ぶ前に習得するものです。光、風、熱、湿気、音などを分析して学びます。私はもともと勉強好きではありませんが、数字が出てくるものの中で、構造力学より単純で算数的、感覚的に呑み込めるのが結構好きでした。特に熱関係は視覚的には関係ないのですが、夏冬の住み心地に必要不可欠です。輻射、伝導、対流の熱伝導や断熱、蓄熱、蒸発熱などの保温。結露とか湿気、そして風の影響などが興味津々でした。一見デザインと関係無いようですが、それは昨今の雑誌編集が片寄っているためで、本当はこれらが視覚的に表現されなければいけないと思います。
 わが子とのやりとりだったのですが、昔こんなことを経験し皆さんに話したことがあります。夏に道や路地に水やりをすると涼しくなる、これは蒸発熱とも気化熱とも言って、とても効率よく熱が奪われるんだよ、とまだ小学校の低学年だった息子に話したことがあるんです。当時はマンションに住んでいたんですが、2階の玄関とテラスが結構広くて家内が植木鉢をたくさんおいて緑を育てていたんです。その夏、小旅行から帰ってきて植木鉢に水をと思いつつ荷を整理していたものですから、手のあいている息子に水やりを頼んだんです。一段落してテラスに行ってみると、何と地面には水が撒かれていましたが、植木鉢には一滴もかかっていなかったんです。怒るに怒れず、反対に奥様がかんかんで身震いした覚えがあります。環境原論より大事な人の心というモノを教えなきゃいけなっかったわけです。それ程のものですから、住まいにおける夏冬の日照や湿気、保温等には人一倍気を使ってきました。

 比較的温暖な瀬戸内型気候に属する阪神間地域では、夏も冬も風を感じて暮らしたい。この家では、木造真壁づくりはもちろんのこと、しっくい、5cm厚の杉板、瓦屋根葺き、木の窓、板戸等自然素材をたっぷりと用いている。例外的に、荒土壁にヒントを得て考案された工業製品・モクセン板(木屑をセメントで固めたボード)を壁下地にしているが、すべて湿気や熱を出し入れし、暑くても蒸さない、寒くても冷えない材料である。

(自然素材とモクセン板)
 人間がつくれるのは、鉄とかセメントとかプラスティックなんかです。その要素が分かっているもの。つまり目的や効果が分かって開発されてきたんです。最初は瓦とか日干しレンガなど自然素材で人工的な形に造型しました。そのうち工場で性能や強度を確認し大量生産された建材が巾を効かせていった訳です。鉄、コンクリート、ガラスが現代建築の主役で、アルミやプラスティックがこれに続きました。土は人工では製造できないそうです。木もそうですね。人知を超えているからです。人工建材で作られた家はコントロール可能ですが、自然素材で作られた家は、必ずしも思う様に行かない所があります。しかし、人知を超えた効用、これを最近では癒しと呼びますが、そこをどうみるかです。見た目を含めて、個人差がありますが、皆さんはこれらの雰囲気をお好みですか?
 完全な人工材料ではありませんが、シーダバーン型住宅で随一使っている新しい工業建材に
モクセン板があります。この材料はあまり伝え過ぎると宣伝になりますので困りますが。通常貫工法というと、竹を編んで土壁を塗るということになるんですが、厳密にはこの場合貫材が小さくて、むしろ土壁工法の下地材と呼ばれています。私のやっているのは、貫で持たせる構造ですがこのモクセン板も強度があります。しかし何と言っても、断熱だけでなく調湿や保温に優れていると言う、やはり荒土壁の役割が気に入っているんです。

(一年中の風)
 隙間風を冬の風通しとは、うまく言ったものだなと、最初に誰が言ったんだろうと思います。しかしこの発言で随分と誤解を受けてきました。ある雑誌では、隙間風の家でストーブを焚くなんて、野中で焚き火するようなもんだと、名指しではありませんが批判されました。世の中には高気密高断熱派の人が多いんですが、私は別世界の人ですから、そう言われても別次元のこととしか思いません。OMソーラーという方式がありますがあれは高気密だよと人に言われて、同じ自然派環境派と見えるようで些細なことで違う方が、仲良くなれないんだなと残念に思いました。私にとって、家とか家具、小物、全てがロマンテシィズムの対象なんです。サイエンティストではないので、感覚に合わなければ無意味になります。杉の床板が5センチととても厚いから好きですし、信頼を置けるんです。最終的には断熱が云々強度が云々ではないんです。そこを誤解されると、あのひとはロマンだけでモノを言っているとされてしまいます。むやみに言ってる訳でなく、ある程度の裏づけはとってるつもりですが、感覚を共有できないのは残念です。

 昔ながらの家では当たり前の隙間風も家のつくりが高気密・高断熱の魔法瓶型住宅ではエネルギーのロスと感じるしかない。重厚な自然素材に包まれたいわゆる土瓶型住宅であるからこそ、建材の保温・調湿によって朝晩の冷え込みが緩和され、隙間風を24時間換気として受け入れられる。短くても真冬には暖房器具も必需品である。直火が見えて輻射熱を受ける昔ながらの火鉢や炬燵もよいし、手軽なガスストーブ、そして本格的には薪ストーブだろうか。あり余る間伐材や建築廃材を薪として最終利用しなければならない。

(薪ストーブ)
 関西しかも阪神間で育ったせいか、冬は結構寒いんですけれども昔はこたつと火鉢でやりすごしていました。高齢の両親は、他界するまで厚着をしつつ電気のストーブとカーペットとふとんで、隙間風をものともせず健康に生きてきました。しかし実際問題として、設計の相談ではやはり冬の寒さ対策は重要問題です。ここ数年ですが、関西でも都市郊外、内陸部の敷地に家を建てたいという若夫婦の方が続いて、薪ストーブをつけるんだと決めておられるんです。4件ほど続きました。そこで私も知らぬことと放っておけず、昨冬座敷に入れて今年も燃やしています。この薪ストーブについては、感ずる所大ですが何せまだまだ日が浅いのでもう少し経験を積んでからお話できればと思います。いづれにしろ、現在はまだまだ一般に普及できない事情が多くあるようで、しかし近い将来あるべき姿にしたいと思っています。

 日本は四季の変化に富み自然の豊かな国と言われるが、言葉以上に目まぐるしく気候が変わり、台風・積雪・地震等の自然災害も頻繁に起きる。裏を返せば日本文化は自然の千変万化の移ろいに呼応して育まれてきたと言える。なかでも季節の変化が細やかで、人々の交流が幾重にも繋がった関西地方の住文化は日本文化の真髄とされてきた。重く厚い屋根と深い軒に包まれて、開放的な縁側や窓、可動性の建具で仕切られた畳や板床、土間の上でさまざまな行事や暮らしが営まれてきたのである。

(エコノミークラス症候群)
 新潟の地震で車生活を余儀なくされた方がこの病気でなくなったように聞いています。少し前ですがサッカーの選手もこの病気でワールドカップに欠場したこと覚えています。長時間リクライニングシートに座っていると身動きが鈍くなってしまうことから来る血液病のようです。このリクライニングシートの一つとして、確か千葉大学の博士が人間工学の研究から編み出された曲線をもとに作られたものと思います。確かにそこに座ると快適に休めるような気がするんですが、長時間となると疲れる感じもあります。そもそも椅子というのはヨーロッパからのもので、人間の要求や目的に合わせて何万という種類のデザインが開発されてきたものです。日本はどうだったかというと、座ぶとん一つなんです。座ぶとんの上で人はどうやって長い時間を過ごすかと言うと、正座したり足を伸ばしたりあぐらをかいたり、ある時は枕がわりにと、趣くままに体を動かせば何時間でもいられた訳です。この話で思い当たることがありました。中学校に電車通学していた頃の我が娘の話で恐縮ですが。「新幹線のシートは疲れるよ」というので「何言ってンだ。お父さんの頃は四角い対面座椅子しかなかったんだぞ。それに比べれば随分良くなったのに」と答えたら「それそれ。古い型の快速電車のその座席の方が疲れないんだ」「だって肘に体をもたせかけたり、背を丸めたり、伸ばしたり時々の体調で自分の好きにできるからなの」なんだそうです。つまりこういうことです。人に合わせてデザインするのも良いが程々に。人がモノに合わせることも大切な要素なんだ。座ぶとんと椅子、尺八ととフルート、着物と洋服、下駄と靴、箸とフォーク、数え上げたらきりがありません。
 暮しの条件に合わせて居間や個室を配置する現代住宅に比べ、一昔前は同じような畳の部屋をその時々で使いこなしてきた和風住宅。どうやら私たちは誰もが同じようなサイズの空間を使っているようで、それぞれの振る舞いで微妙に調整して暮らしていくという才能があったように思うんです。とかく昔のものは前近代的で非科学的で使い勝手が悪い。新しいものは便利で性能も優れて快適だと思いがちです。しかし私たちの先達が決して浅はかで未発達ではなかったということをもう一度考えてみる必要があるのでしょう。
 そう言う意味で古くから使われてきたもの、こと、方法を受け継いでいく大切さが身にしみる訳です。

 かつては目には見えない、言葉では伝えられない、数値では計れない、昔ながらの知恵や道理が確かにあったはず。常に最新の科学技術を取り入れ建築や設備に性能を求める合理的な住まい方が大勢となっている今、心身で自然を受け止めて暮らす大切さも見直されてくるに違いない。

                                   おわり