第6回 住宅建築家について
●最近,住宅設計を建築家に依頼するという流れがあるように思いますが,その場合の住宅建築家という呼ばれる方の共通項を教えてください.
▲建築家がいわゆる一般的な住宅を設計するようになったのは多分1970年代からではないでしょうか.
それまでは戦後の復興期でもあるし,雑誌媒体が多くなかったですから,一握りの建築家は除くとして,限られた裕福な知識層の方との仕事が多かったと思います.
その70年代に「都市住宅」という雑誌が出たのが大きかったですね.「住宅建築」「新建築住宅特集」も刊行されました.ここ10年位はますます底辺が広がり,ネットと共に昨今のプロデューサー機関ブームに至っています.
そこで住宅建築家という存在ですが,様々な建築家が入り乱れているのではないでしょうか.何せ,住宅を設計する人は皆,建築家と呼ばれる時代ですから.ハウスメーカーの中にも企業内建築家と呼んで,宣伝しているところもあるんです.
夫々違いがあって,夫々特色があるということなんでしょう.
そんな中で共通項といわれれば,やはり近代工業化の申し子ということでしょうか.
ハウスメーカーも工業化住宅と言われますが,標準化や生産ラインの制約で小回りが利かないんですね.工法も,カタチも制約があります.
建築家の場合は,狭小地にも建てられる,崖地にも建てられる・・・もちろん工法も自由,むしろコンクリート造が得意です.
特に住宅建築家には,四六時中家のことを考えている方が少なくないですから,現代技術を駆使して難問であればあるほど特殊解を出してくれるわけです.
工業化の工法材料を駆使して一品を仕立てるといった感じが当てはまるのではないでしょうか.
●シーダ・バーンの場合も建築家の設計をうたっています.他の住宅建築家との差異があるとすればどこでしょうか?
建築家は何でも手がけられる存在なんです.私も以前はそうだったわけですが,シーダ・バーンだけに専念しているのが現状です.
何故ならシーダ・バーン型住宅が,必ずしも近代工業化ばかりではなく、手工業或いは工芸とでも言う要素が多々あるんですね.
また想定するライフスタイルが合理主義ばかりではないこともあります.断熱や気密といった性能の追求も次元が違っています.
つまり,工法,素材,生活にわたって何でもコントロール出来るという発想ではないので,いわゆる建築家の定義から外れないと具合が悪いことが起こってきたわけです.
デザイン面でも,伝統文化が背景にあるので創造的とか独創的でなくてもよいわけです.庇も短くてよいわけはありませんし,ガラスも単にのっぺりとした透明で構わないというわけには行かないんです.
自然素材の手工業的発想は,例えばコスト,職人,素材等どれをとっても施工と分離して考えることができない.
年に数棟,しかも微に入り細にわたり関与しなければならない仕事になるのです.
シーダ・バーンの建築家とは,住宅建築家を超えて一歩先にあるもの,反語的な意味で近代工業化の落とし子だったということでしょうか.
●工芸的というお話が出ましたが,シーダ・バーンの場合工期がかかるとか費用が通常よりかかってしまうという懸念はなかったのですか?
▲もちろん最初はその懸念があり,今よりは手間暇かかっていたでしょう.
しかし、目指すのはあくまで庶民住宅ですから,今までそうならないよう切磋琢磨の毎日で来ています.
それこそ「反復は力なり」がモットーです.
とにかく一昔前までは,シックハウスもない,無垢材で,地震台風にも粘り強く,大正モダンといわれるシャレたデザインのニッポンの住宅があったのですから.それこそ,日本の住宅史の中でも燦然と輝いた時代ではなかったかと思います.
日本各地にある民家はもちろん,欧米の伝統的な住宅などもあわせて,宝の山を見過ごす手はないですね.
●今までの建築家像にあてはまらない新しい建築家が必要とされているのかもしれません.今後に期待したいです.では次回まで.