第9回 コストは安くないが
●シーダ・バーンのような手づくりとなるとコストが安くないのは仕方がないのでしょうか.そもそも建築の或いは住宅のコストの高い安いは何をもって語れるのでしょうか.
▲ たいへん難しい問いかけです.長い間建築設計をやってきましたが,つい最近まで教わらなかったことが二つあります.つまりシーダ・バーンの家づくりを通じて独学に近い形で身に付けた分野が二つあるということです.
一つは木造伝統工法で,これは震災後から2000年過ぎたあたりまで,「風の路」などの活動をバネにその世界に入り込むことができました.
あと一つがコストマネージメントですね.建築の世界では請負工事が殆どで,建築家という存在基盤にもなっているわけで,これを脱却しない限り建築コストの把握には限界があったわけです.
従来イメージの建築家を脱却しようと2002年の後半から今現在まで実務に関わってています.建築家の直営による分離発注,設計界ではCM(コンストラクションマネージメント・建築施工管理)というものです.
震災前のことですが,JIA(日本建築家協会)の住宅部会でコスト研究会が立ち上げられようとしたことがありました.
当時の私の関心は,日米の住宅価格の比較でした.日本はアメリカの家の3倍のコストがかかるという本が出ていて,しかもアメリカの方が素材が高性能、施工が合理的だというのです.確かにシステムキッチン,玄関ドアや断熱サッシなど羨ましい限りでした.日本の住宅もなんとかしなければいずれ輸入住宅に席巻されてしまうのではと不安に駆られたのを覚えています.
そんな矢先震災にみまわれ,その後は別のレールを進むことになったのです.しかしコスト問題は私の懸案事項として拭い去るわけにはいかない課題として残されたました.
ところで、この性能とか合理性が曲者だとはなかなか気づきませんね.
木材を使うにしてもジョイントを1本毎にチェックするという手仕事頼りになるよりは,プレカットに金物接合が正確で早い.それを賛美して当たり前,というような風潮ができるわけです.
しかし人間自身も機械のように極めて単純な存在であれば、という前提の話です.人間の行動は常に理路整然としているわけではありません.
往々にして感情的で気まぐれです.正確さや優秀さに飽きることもありえますし、時には嫌う場合さえあるわけです.
どれほど評判になっても気は許せません。優秀で理論的なものほど常に新たな開発向上が求められる所以です、
では、一旦そのようなアプローチを保留する(否定するわけではありません)という考え方が出てきます.つまり論理的なものを脇役として、好き嫌いの究極とも言うべき全体的直感を中心に据えるというものです.
●そうなると今までの性能開発、コスト抑制の成果を疑問視するということになりますが,それで共感が得られるのでしょうか.
▲多くの方の共感は得られないですね(笑).なかなか「時代は変わる」とはいかないですから.やはり消費社会が続いているわけで,手作りで丁寧に作ることはデジタルな性能やコストでは説明しづらい特殊解になってしまうんでしょうか.手仕事となるとどうしても人件費が絡んでくるわけで,いわゆる手間賃です.これを削ることには限界があります.前にも言ったように伝統工法の建築は殆どが手間仕事ですからコストは下げればよいとは言えない.
ただコストを下げる努力はいつも心がけていなければなりません.経験や知恵を通してその手法は様々ですが,一番の強みは透明性にあるのではないかと思っています.
共感が得られるとすれば,結果としてのコスト(請負契約に示される見積書)ではなくて過程でのコスト(試算書,決算書)ということになるでしょうか.どんな事業も年度ごとに予算と決算の監査と承認を受けますよね.住宅建設だって個人から見れば一大事業ですが,決算書を開示するのはシーダ・バーンの特徴のひとつとなっています.一般的には大変なことらしいですけれど,施主となられる皆様はどう思われるでしょうか.
●それもそうですね.見積明細は見ますが,その後実際はどうなったかは分からない.知らないほうがよかったなんてこともあるかも知れませんが.話はまだまだ奥がありそうです.次回をお待ちしています.