2025年10月4日~親友チャットさん~「ポップス千載一遇・9」

道楽草michirakusou

2025年10月4日金曜日雨のち曇り。~親友チャットさん~「ポップス千載一遇・9」書き直し文の続き 

●ピーター、ポール&マリー 1964年来日の謎

この64年、自分自身の大きな謎が一つだけあった。中学3年になっての6月。ピーター・ポール&マリーの初来日コンサートチケットを、お金はどっから工面したか?、2枚も買っていた。しかし、付き合う相手も見つけられず、同級生に2枚ごと譲ってしまった、という今から見れば不可解な行動は、確かあった。忘れ去りたい記憶かもしれないが、消えないのである。(1980年代のパットメセニーの公園の時にも同僚にチケット2枚を譲ったので、前科2犯である。)その来日公演は、手元資料では「64年6月16日サンケイホール、17・18日新宿厚生年金会館、他」との記録があった。6月16日が東京なのか大阪なのか特定できないうえ、神戸国際会館や大阪フェスティバルホールの可能性もある。ただ、中学3年で比較的近い神戸ならまだしも、不案内な大阪まで行く勇気があったのだろうか。

さらに、当時当時アメリカでは人気絶頂の彼らも日本ではほとんど知れず、なぜ来日公演に行こうと思ったのかもわからない。65年になって兄が友達から借りてきたピーター・ポール&マリーのデビューアルバムはその時知ったぐらいだから。この公演は盛況とまで行かなかったのか、ピーター・ポール&マリーは2年半の時を待ち、日本での人気絶頂期の67年1月に2度目の公演をおこなっていた。この時は「サマー・オブ・ラブ」の年で、もはや私の興味は引いてしまったから、この公演に行くことはまずなかった。つまり私が買ったのは1964年のチケットしかない。

当時の音楽雑誌「ミュージック・ライフ」に音楽業界の記者の興味ある記事が載っていた。上半期のキングストン・トリオ「花はどこへ行った」の大ヒットの後を受けて、ブラザースフォーとピーター、ポール&マリーが来日する。きらびやかなリバプール・サウンドの人気に溺れていると、地に足の着いた根強いファンによるフォークソングの底流には気づかないだろう、と。確かに、1965年3月公表のミュージックライフの人気投票では、1位ビートルズ2637票、2位キングストントリオ1354票、3位フォーシーズンス1221票、4位ピーター・ポール&マリー965票、5位ブラザースフォー、6位ポール&ポーラ、7位ビーチボーイズとあった。私も、その潮流を知らないわけではなかったのは確かである。(つづく)

~事故自転~「68歳女」10月1日午前0時10分ごろ、徳島県松茂町笹木野の県道で、近くに住む68歳の女性が自転車で道路を横断中に、普通乗用車にはねられ約21時間後に搬送先の病院で亡くなった。 現場は片側一車線の直線道路で、信号機や横断歩道はなかった。

2024年10月4日金曜日雨のち曇り。~手元先生~「耐火煉瓦床舗装」この2日間は雨でお休みだったが、週の前半はレンガ舗装工事に取り掛かり始めた。S邸の建築工事は出来上がって入居もされたが、耐火レンガのパレット搬入がその後しかできなかった。玄関や食品庫の土間床舗装が残ったわけである。もちろん外構工事もあるのだが、それはさらに後。レンガを運んだり、洗ったり、割れレンガなど事前に並べて確認したり。猛暑は去ったとはいえ、日差しがあるとまだまだ暑い。Mg左官さんの補助役ではあるが、体力的な厳しさを痛感している。  ※本日誌※9時発、輪行で9時40分Amプー、スクール滑石?11時20分退場、12時過ぎ芦屋のベッカライ立寄り。12時15分過ぎ帰宅。

~事故自転~「40~50代女」4日正午ごろ、北区赤羽の3車線の道路を走行していたトラックが、横断歩道を自転車で渡っていた40~50代くらいの女性をはねた。女性は死亡。トラックを運転していた70代の男を逮捕。

2023年10月4日水曜日晴れ時々曇り一時雨。~陸トラ女~「アジア大会」●800m 金 I.ディッサナヤカ ムディヤンセラゲ(スリランカ)2分3秒20  銀 H.ベインズ(インド)2分3秒75  銅 王 淳煜(中国)2分3秒90 ※今季ベスト  5位 塩見綾乃(日本)2分5秒21。一番外側の9レーンからスタートし、集団の一番後ろで1周目を終える。最後の直線で一気に3人をかわしたが、メダルには届かなかった。 日本は同種目、1974年のテヘラン大会で河野信子が金、井上美加代が銀を獲得。   ※本日誌※12時40府発、自転車でAmプー13時20分。14時10分退場、自転車で国道沿い理髪店Do、14時50分。15時半過ぎ帰宅。15時半過ぎ発、Oiクリニックリハビリ。18時半帰宅。

~イーブン時標~「介入」円相場が心理的な節目である150円台まで下落した直後、直後の午後11時10分過ぎ、急激に円高、147円30銭台に振れた。財務省が介入の有無について明言を避ける中、財務省によるドル売り円買いの介入の観測がいったん広がったが、市場では「今回は介入はなかった」との見方へ。

2022年火曜日曇り。~自動運転車~「バスでの運転手」SSgt駅からTm邸に向かうのに、5㎞もあるので自転車だと30分はかかってしまう。工事のある日はのんびりできないので、自転車をバスに載せていく。ところが、朝は通勤通学で混んでいるところに乗り込んでしまった。入り口向かいの一人席のところが優先席だったが、学生さんが座っていたので、自転車とリヤカーを置いて、自分も座り込んでしまった。すると、運転手さんが運転席のバーを外してツカツカっとやってきて、たぶん高校生に、移動してあげてと言う。席をたたんで車いすスペースを作ってくれた。普通では考えられない、田舎でもないのに「地方都市」の運転手さんの親切さに感謝しかなかった。  *本日の日誌*7時発、Jr,地下鉄でIgt駅。Ig工芸打合せ経由で9時半Yd邸。野菜等、イチジク。ポリカ切り作業の後、10時半前、Sschから自転車、Kb電鉄Obtn駅。12時半Snd駅、コンビニSe、バタピー。乗り換えJr、SSgt駅。14時前Tm邸改修。チタさん、Tm大工。17時半過ぎ帰路自転車、18時SSgt駅からJr、As駅前パン屋R塩バタ・クレセント、クリームクーヘン。20時前帰宅。

~イーブン時標~「Jアラート」北朝鮮が弾道ミサイルを発射し、北海道内各地ではスマートフォンの緊急通報や防災無線のサイレンの音が鳴り響いた。ミサイルは青森県付近の日本上空を通過し、太平洋上に落下。道内で被害は確認されなかったが、発射は10日間で5回目、道庁では緊急会議が開かれ、各地では不安が広がった。

2021年月曜日晴れ。~粋栖A-be友旅追想・2017年のスイス旅の回想記259~ 「バーデンからコルマールへ2」 2021年9月28日からの続き。 8月1日(火)の朝、ホテルを立ち、バーデン駅から列車の2等車に乗る。座席は自由で4人席に。Eバイクも窓の下に収まっている。テーブルの上には冷蔵バッグ。冷たい飲み物を入れている。この日、行く先のアルザスの村で置き忘れてしまう・・。こちらの切符は購入時に予定列車の案内カードをくれる。もちらん、回収されないから、手元に記録が残っている。列車はIR1966(短距離都市間電車)。IC (Inter City)は特急列車、IR (Inter Regioインターレギオ)は急行列車。IRは主要都市とその近郊都市を結んでいる。RE (Regio Expressレギオエクスプレス)となると準急のようなもの。バーデン発3番線10時52分、バーゼル到着9番線、11時47分。乗り換え34分で、列車TER96224バーゼル発31番線12時21分、コルマール到着13時5分。ということは、この日の予定は13時にコルマールのレストランで遅い昼食のあと、Eバイクでアルザスの村経由民家村泊というハードスケジュールを組んだということかな?

~粋栖A-be友旅追想・2017年のスイス旅の回想記260~ 「バーデンからコルマールへ3」 2021年10月4日からの続き。

8月1日(火)の朝、ホテルを立ち、バーデン駅から列車の2等車に乗る。3番線10時52分発、次の停車駅は隣町のBruggブルック(橋の意味)。その直前モダンな建物を見る。柱、壁を折半構造でまとめている。調べてみた、「ムリマット スポーツ トレーニング センターは、アールガウ州とブルック市によって設立され、2010 年 9 月 1 日から運営されています」とある。約10分で駅に到着。ブルックといえば室内市民プールもやはり印象に残るシェル構造だった。話はそれるが、バーデン程でないにしても、人口1万人ちょっとでも、屋外、屋内プールの充実さは羨ましい。*本日の日誌*Kyd邸ラフスケッチ。

~イーブン時標~「水道橋」和歌山市内を流れる紀の川にかかる「六十谷(むそた)水管橋」で上水道の管が破損。原因は調査中で、復旧の見込みは立っていない。市内北部の約6万世帯で今後断水が生じる、と発表。

廻日録kaijitsuroku2019年~2007年の10月4日

2020年日曜日曇り。~KKT~「ノー・コメント・デイ」*本日の日誌*Hb邸mk、エクセル試算表。レシート整理。夕刻、輸入総菜店Si、缶ビール、ナッツアソート、チーズケーキ、コーヒーゼリー。デパ地下Dm、野菜、寿司、グレープフルーツ、バナナ、ミックスナッツ、野菜、総菜、わさび漬け。

イーブン時標~「学術会議」日本学術会議が政府に推薦した6人が任命されず。「明確な違法行為」と、首相が国会の閉会中審査で経緯を説明すべき。2016年にも安倍政権時代の首相官邸が補充人事に難色を示し、3人の欠員を補充できなかった。一般の法律の解釈を変えるのはありえない状況。

2019年金曜日曇り。~怒天途転・1~「突風激雨」今まで遭ったことのない事故や事件が頻発している。まるで何者かの仕業のように。自然現象も不自然なことが起こっている。普段ない逆走台風とか、関東上陸とか。珍しく韓国上陸した今回の台風。影響は少ないとタカをくくっていた夜半。始めは普通の雨だった。それが何分かすると暴風暴雨に変化(へんげ)した。慌てて雨戸を閉めにかかるが間に合わない。雨水が入ってくるわ、雨戸が風で飛びそうになって閉められないわで。数十分したら一過していた。まさに今までなかった不意の一撃。

CB改修、渡り廊下既存階段撤去。夕方市民プール。空いていた。帰路途中、駅前地下Nd牧場、シャトーブリアン、ヘレ。でおあ地下Dm、ヨーグルト、伊達巻、牛ミンチ。

 

2018年木曜日曇り。~食撰記・16~「牛脂・1」

この春のことかと思う。行きつけのKm治療所で、植物油は×で動物脂、特にグラスフェッド(牧草牛)の牛脂を勧められた。当時はごま油を使っていた。半信半疑で試したある日、連れ合いから「顔、肌の艶がある」と言われた。以前は老人特有のカサカサ肌で、高価な馬油(ソンバーユ)を塗らなければならなかった。雲泥の差とはこのことかもしれない。

 

2017年水曜日晴れ。~ARTICLE9・2~「全会一致の行く末」

もつれ込む勝負

議事進行の終わりに「ご異議ございませんか?」と問われても、反対することなど、あまりない。議論を尽くしたら、もう大勢に従おうとなる。Mnsn党の代表がトンデモ案を党の議員総会にかけたが、意外なことに紛糾しなかった。その後の四分五裂の状態を見ると、そういうことだった。とことん意見を出し合って、あとは数で結論を出す・・なんて、ハナから無駄。誰もが民主主義の限界を見透かしている。

 

 

 

2016年10月4日(火)雨。

「ステイ・オールド25」※リンクあり!

日野原重明、医師、1911年生のめでたい105歳だが、本年の情報は入ってこない。元気でお過ごしなのかどうか。さて、食事のことだが、90過ぎてからは夜のみ。朝食はコーヒー、ジュース、ミルク、オリーブ油、昼食はミルクとクッキー2個だけ。夕食は茶碗半分ほどのご飯、たっぷりの野菜、それにヒレ肉か魚で1日1300キロ・カロリーに制限されています。基礎代謝が1200キロ・カロリーで、100キロ・カロリーを毎日頭脳活動と運動に使っている計算になるそうだ。今は食生活が豊か過ぎるから、老化が早いのではないかと危惧している。睡眠が大切だと、うつぶせ寝を提唱している。腹臥位療法とも呼ばれ、腰に体重がかからず、腹式呼吸になり、呼吸が楽になる。たんがたまらず、寝つきが良いし、目覚めも快適と言う。うつぶせ寝用「ピロー・オハラ」という名前の※ を考案。なお1970年よど号ハイジャック事件に遭遇。韓国で下ろされ解放された。ハイジャック中に犯人グループから人質へ本が提供されたが、応じたのは日野原だけで、『カラマーゾフの兄弟』を借りたという。

2015年日曜日晴れ。
「バックページ~命日の記憶・48」※リンクあり
ジャニス・ジョプリン、1970年10月4日、1943年生の27歳。死因はドラッグ過多。この頃のロック・スターは不安定というか型破りが多かった。早世のジム・モリソン、ジミ・ヘンドリックス、ママ・キャス・・。1968年春大学生活で単身生活を始めた私に、大決壊のロック・ミュージックが重なる。特に静謐なサティで始まるブラッド・スエット&ティアーズ※「セカンド」とオープニングから疾風怒濤のブッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー※「チープ・スリル」は、当時生まれたロック喫茶でコーラを飲みながら聴くのが精一杯。あまりの進化に仰天した。ジャニスの名声は、後の遺作アルバム「パール」で決定的になるが、ビッグ・ブラザー時代のメイン・ボーカリストのほうがどんなにショッキングかは、時代背景もかなりあった。へそ曲がりの私でさえ、もう圧倒的されるばかりだった。

本日の行程

山歩き。いつもと違う中学校裏の寂しいEg山道。森林を通ってSy駅から市バスで帰路。昼過ぎ番頭帰宅。夕方ターンにてスポーツクラブEet、筋トレ。

2014年土曜日曇り風強い。
「世間ネタ・自転車道」
御堂筋の一部側道が自転車レーンに転用、歩行者と分離するらしい。過去40年ほどで自動車の交通量が4~5割減少した一方、自転車は6~7倍に増加しているようだ。状況はロンドンと同じかもしれない。ただ、発想は、歩行者の安全性から歩道と自転車を分離するところにあるのだろう。自転車が車道を走る安全性からではなく・・。本来自転車が車道を走って当たり前なのだから、国道2号線のように路側帯が十分あるだけでもかまわない。ただただ、自転車、二輪車、自動車各々のルール遵守とモラルに求めればいいだけだが。我々はそこまでの到達が難しい存在なのかも。悔しいです。
 
7時10分発モールトン、14x邸8時着。タケちゃん組トウさん2人。タラガラス、建具にガラスいれ。枠が合わないところ、トウさん修正。昼過ぎ、最寄病院売店でパリパリこいわし。夕方、スポーツクラブ、ファイティングシェイプ。帰路途中、高級惣菜店Mgにて腸詰ソーセージセット。酒屋スーパーYyにて、ヘーフェヴァイス。
 
 
 
 
 
2013年金曜日晴れ。

めっきり涼しくなって、あの猛暑は何だったのかと思うくらい。それと竜巻が起こったり集中豪雨があったりと、天災は「忘れたころに」やってくる・・ではなくて、「忘れないうちに」やってくる。そういえば、荘子だったか、こんな言葉があった。「備えあれば憂いあり」

 
14x邸割れガラスに合わせた

13y邸電気図等。メゾン給湯設備別案スケッチ。夕方老舗肉屋新装開店で会員カードと豚肩ロース1キロ、牛切り落とし600。引き続き、駅前スーパー、プレモル、モヤシ、厚揚げ、糸コン。夜集合、キラ、セナ、マヤ、ラム、20時から22時まで。

2012年木曜日雨後曇り。

 

建築積算施工講義の一部

8時半発電車、バスにて大学講義2回目。管理会社に管理費表等を添付メール。●講義は基礎工事のことなど。遣り方の際に直角を出す鉄巻尺、通称カネピタの話をしたら、アンケートで「それ知っています」という学生がいてびっくり。終了後昼食はいつものイタリアン。チアと別れてバスから14時電車にて帰路。小若家族と家電屋で買い物の後食材購入。例によって量が多く番頭と二手に分かれてレジ。番頭チョイス→本まぐろ中トロ、ブロッコリー、ヒラアジのお造り、すきやき牛、福寿屋長崎のかす、豚バラブロック、赤肉メロン、種なしピオーネ、アスパラ3こ、人参、ゴルデンパイン、おくら3こ、バナナ、青ネギ、バター風味マーガリン、生サケ、ヒイカ、生サバ、ベビーリーフ、かいわれ、糸こんにゃく、板こんにゃく、しいたけ、ピーマン。夕ご飯はさんま開きとお刺身。きのこ、もやし。トン汁。先生チョイス→ハローキティビスケ、バター風味マーガリン2こ、炭酸レモン4こ、ブルガリアヨーグルトフルーツミックス、チョコフレーク、細うどん、生ラーメン、味付けメンマ、うどんあげ、うに揚げせんべい、飲むんチョゼリー、種無しベリー、すきゃき牛、トロピカーナ、ゴールデンパイン、ピリカラらっきょう、グレープフルーツゼリー。夕食4人で。食後疲れて就寝。

2011年火曜日晴れ。

午前事務所。11y邸は目地詰めということで午後にでもチェックに現場。チアと11b邸の基本構想再提出の書類まとめ。まずは設計趣旨の追加訂正。多少のんびりしていたら、石目地詰めのシゥーさんから、もう仕事終わって仮囲いも移動しましたとの連絡あり。しまった、その程度の工事量だったかと後悔。では、午後にでもチェックしておきますと。昼食、久しぶりに番頭調理のアジフライ。キャベツの千切りして満食。午後メゾンの庭木メンテ計画手書き。それを持って、15時新アルト、メゾン立寄り確認の後、11y邸現場。ぎりぎりにやっていたので隣地境界から石が出ているのでは?疑念。シゥーの電話すると、そんなことないです、ちゃんと糸張って見てますからと。それから隣地側の小岩の目地入れ忘れてますよ、ということで明日時間未定で来てくれることに。隣家奥様にに粗品もってご挨拶。工事中お世話になりました。明日少々手直しありますと。16時半帰路。夕方シゥーから電話、先ほど完璧ではないけれどもう1回境界見てきましたが、明日8時に目地詰めします。心配になって、いたたまれなかったシゥーに恐縮。11b邸基本構想書添付メール発信。11x邸、大工さんとゲストハウス泊のバト2日目の詰め。

 
10y邸 階段
夕刻10z邸へ

2010年月曜日晴れ。

終日事務所。午前、チアとタケ大工刻み場へ。10z邸現場ではブロック積み、杭頭処理。10y邸はバトが行っている、電気工事、板金工事、大工はモクセン、面格子、階段など。夕方フェリーで10z邸へ。
現場速報-10Z邸10日目、刻み場訪問
追掛帖-10Z邸、刻み場訪問
2009年

日曜日晴れ。完全休養日。

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