2025年11月13日~親友チャットさん~「風と建築・2006年復刻版・最終稿を読んで」
道楽草michirakusou
2025年11月13日水曜日曇り。~親友チャットさん~「風と建築・2006年復刻版・最終稿を読んで」
「親友チャットさん」 素晴らしい最終稿(第3稿)を拝読しました。第1・第2稿で描かれた思想と実践が、ここで明確に**「生活哲学」へと昇華**しています。全体を通して、「木の家の思想」から「風の路」への展開は、まさに20年にわたる思索の旅の完結部にふさわしいものです。以下に、第3稿の内容を整理・要約しつつ、全三稿の統合構造を示します。
🌬 第3稿 要約と構造分析
- (風の路)――自らを探す風の旅 2000〜2002年にかけての講演・見学会運動「風の路」では、風をキーワードに“自分探し”の思想運動を展開。三段窓(シーダ・バーンの象徴)をポスターに掲げ、建築を超えて自然・身体・文化を再考する場を作る。ヘレン・ケラー、荘子、H.G.ウェルズ、今西錦司などの言葉を手がかりに、“風は単なる気流ではない”と気づく。風=自然の声であり、五感を呼び覚ます情報体として描かれる。「風は目に見えないが、風の通った跡を辿ることはできる。」「風は高感度情報体なのである。」ここで「建築を通して世界を感じる」という主題が、明確に思想化します。
- (環境原論)――身体と気候を結ぶ科学の再詩化 建築学の基礎科目「環境原論」への回帰。光・風・熱・湿気・音――これら“数値化された自然”を、再び感覚のレベルで再統合しようとする試みです。子どもとの「水やり」の逸話が象徴的で、「環境原論より大事なモノを教えなきゃいけなかった」というユーモラスな自己批評が、思想を生活に引き戻します。→ ここに、「環境=数値の対象」から「環境=共生の場」への転換がある。
- (自然素材とモクセン板)――伝統と工業の接点 土・木という**“人知を超えた素材”**と、それを模倣・応用した“人工素材”との関係を哲学的に論じる部分。「人知を超えた効用、これを最近では癒しと呼びます」モクセン板(木屑+セメント)を、荒土壁の現代的転生として評価。「貫工法+モクセン板+漆喰仕上げ」=伝統の構造に現代技術を呼吸させる実験。つまり、自然素材と工業技術を対立させず、“呼吸する建材”として再構築している点が新しい。
- (通年の風)――風とともに暮らす思想 「隙間風」という言葉に対する誤解を逆手にとり、ロマンと科学の両立を語る核心部です。「サイエンティストではないので、感覚に合わなければ無意味」「脚触りが柔らかく温いからでしょう。」風・素材・触覚――この三つが住宅の生命とされます。高気密高断熱=“魔法瓶型住宅”に対して、“土瓶型住宅”=呼吸する家という見事な比喩。薪ストーブ、火鉢、間伐材利用まで言及し、風・火・木・人をつなぐ“循環の思想”として完結していきます。
- (エコノミークラス症候群)――身体知への回帰いきなり医学的話題に見えますが、核心は「身体の自由」。→ リクライニングシートの“最適化”を批判し、人がモノに合わせる自由の価値を説く。「人に合わせてデザインするのも良いが程々に。人がモノに合わせることも大切。」座布団と椅子、着物と洋服、箸とフォーク――対比の列挙が詩のように展開され、**“暮らしの可変性こそ文化”**という結論へ。ここで、「風とともに変わる身体」の思想が閉じられます。
- 結語 「昔ながらの知恵や道理が確かにあったはず」「心身で自然を受け止めて暮らす大切さも見直されてくるに違いない。」すべての章が、“風”という目に見えぬ媒介を通して、自然・身体・素材・文化をつなぐ生活哲学に収束しています。 (つづく)
- ~事故自転~「女性」10日午後6時10分ごろ、茨城県阿見町荒川本郷の町道で、自転車に乗っていた女性が軽乗用車にはねられ、意識不明の重体。現場は信号機やセンターラインがない直線。
2024年11月13日水曜日晴れ。~バディランゲージ~「福祉プールに直結している福祉バス」日中の運行間隔が10分に1本という高頻度で、料金は三宮地区ICOCA特例で一般人にとっても半額の120円と安い。神戸市のこの取り組みは非常に優れたサービスであり、利用者の立場に立った配慮が行き届いている。 ※本日誌※13時10分発、自転車で13時50分Amプー。14時50分退場、15時20分Km治療所。17時15分前退場、Oiクリニックリハビリ17時半。19時15分前帰宅。
~事故自転~「47歳男」藤沢市葛原の信号機がある県道交差点で、11日午後8時過ぎ、対向車線を直進してきた軽ワゴン車と直前で右折した車が接近。 軽ワゴン車はよけようとして進路を変えたため、歩道で自転車に乗り信号待ちをしていた茅ヶ崎市に住む国家公務員の男性(47)にぶつかり、男性は死亡。 逃げた右折の車は白っぽい色。
2023年11月13日月曜日曇り時々雨。~バディランゲージ~「福祉プールに福祉バス」Snmy駅近くにある総ガラス張り天井(開閉式、夏はオープンに)の※福祉センタープール。最近、再発見したばかりだが、その後忙しくして訪れなかったが、今日ようやく。我が街にも保健福祉センターというのがあるが、「15メートル×7メートル、水深1.2メートルの水浴訓練室で、教室・訓練と開放事業。解放事業は自由に水中運動を、高齢者開放事業(65歳以上)など」とある。近くに市民プールがあるにしても、規模が小さすぎる。その点ここは25メートルといえども大きい。土曜日以外は誰でもOKだし、キッズ関連の事業がないからね。さらにアクセスだが、Snmy駅と往復のバスがあって、このプールが終点、発着場になっている。しかもお値段は誰でも半額。大きな街はいいことがある。 ※本日誌※14時20分発、電車、Smy駅、徒歩でFksプー14時50分。16時15分退場、バスでSmy駅。17時帰宅。
~イーブン時標~「辞表」過去の税金滞納と差し押さえなどが問題となっていた自民党衆院議員の神田財務副大臣(60)が13日、鈴木財務相に辞表を提出。事実上の更迭。9月の岸田内閣改造後、政務三役の辞任は3人目。
2022年日曜日曇りのち雨。~粋栖A-be友旅追想・2017年のスイス旅の回想記294~ 「アルザスの珠玉21」

2022年11月9日からの続き。いきなりエギスハイムの街中に入る。グーグルでは肝心な観光名所というか旧市街の見どころあるところはストリートビューから外されている。ピンポイントの360度ビューはあるが限られている。街中で撮った写真アングルを後日に確かめるのは難しい。左の写真街路が湾曲しているところがエギスハイムの片鱗、右側が内部側、入ったところすぐだろうから左写真は南側に行く外側の砦通路だろう。椅子テーブルが随分並んでいるので観光ルートの一端を担っている感じ。右の写真の街路の奥に山がちらっと見えたところで、北側にまっすぐ伸びる少し内部よりの通路、しかもしっかりとしたメイン・ストリートに順ずるところ・・などと推測して鳥瞰写真から当てていく。前回見た鳥瞰の案内絵に◎風の案内が見えるがそこが今立っているところで、※グーグルマップではここ。そしてテーブルの並んでいるのはこの※ピツェリア。左端角のガラスウインドウとPIZZERIA のAの字が決め手だった。*本日の日誌*終日自宅。夕刻、Ymd邸電気でプリンターインク、地下スーパーCp、太巻き。
~イーブン時標~「G20」インドネシアのバリ島で主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)。米国のバイデン大統領や中国の習近平(シーチンピン)国家主席ら、各国首脳が顔をそろえるが、写真撮影が行われない異例のサミット。ロシアによるウクライナ侵攻をめぐる対応や、米中の対立といった問題が山積する。
2021年曜日曇りのち雨。~手元先生~「大工居教わり」*本日の日誌*床下地を工事していると、躯体振動で他の住民からクレームあり。7時50分発、サイクリングで隣町Tkgw建材。Sckg駅経由でサイクリング、一気に37分かかってKyd邸9時少し前。11時、お車でホームセンターRylに万能ボンド等買い付け。16時過ぎ退出、サイクリング17分で16時40分前帰宅。
~イーブン時標~「COP」英国で開かれている国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)は、会期を延長して交渉が続いた。2015年に採択されたパリ協定で、気温上昇を2度よりかなり低くし、できれば1・5度に抑える目標を掲げてきた。「2度目標」では不十分とする機運が高まっていた。
廻日録kaijitsuroku2020年~2007年の11月13日

スイスに来てから4日間のチケットやレシートを再検証。今回は7月29、30日分。●7月29日(土)朝食後、E-A-BIKE、バーデン広場の恒例朝市の見学。バーデン駅からIR、6.7CHF、チューリッヒ中央駅。E-A-BIKEでチューリッヒ湖岸走行。Strandbad Mythenquaiミテンクワイ水浴場に入る。有料、料金?だった。海水パンツ忘れて足浴のみ。アイアンマン大会があった。場内のカフェテリア方式、菜食レストランHILTL14時17分、アルコール・フリー6CHF。ヴォリショーフェン駅前コープ、15時7分。ブルグル・カプレーゼ6.5CHF、七面鳥ムネ肉2.9CHFハイネケン1.95CHF。鉄道で中央駅3.1CHF。市内観光。中央駅12番線IR17時36分発、バーデン駅3番線17時51分着6.7CHF。●7月30日(日)朝食後、山歩き。一旦ホテルに戻って、屋外市民プールへ。入場料6CHF。テラスカフェで、アンカー・ビールと鶏ムネ肉、料金?。市街北部のガストハウス・レストランを見学。戻って、宿泊ホテルの隣接レストランHornliにて夕食、計68.5CHF。Hotel Atrium Hotel Blume泊。*本日の日誌*終日自宅。昼過ぎ発、Tbn駅14時18分からシャトル、14時40分前Amプール、アイスクリーム。。帰路、Tbn駅前Plltでお財布、靴下。knsスーパー、ナッツ&フルーツ、ポテチ、トリュフ、キットカット、穴子玉子焼き、塩麴肉、かき揚げ、オランジェ、牛乳プリン、17時50分前As駅ナカデパ地下Dm、バナナ、グレープフルーツ、ナッツ、はもちくわ、旨辛ミックス。輸入総菜Si、Pウィンナー、コーヒーゼリー、
エルミタージュ改装
2018年月曜日曇り。~食撰記・18~「立ち喰いステーキ」

Tkバーンホフ

先日Hr商店に立ち寄った帰りに、混み合っているステーキ屋があったので入ってみた。カウンター形式で、価格帯が意外と安い。躊躇しつつ、リブロース300gを胃袋に納めた。熱い鉄板の上でレアの分厚い肉を転がしながら食べるのは、スイスの石焼以来で感激した。そこで今回はKs駅近くのお店に入ることに。この店は立ち喰いスタイルだったが、やはり繁盛している。少々待たされて案内されたカウンター越し。妙齢のオフィスレディーとおぼしき方が忙しく食されている。見てはいけない何かを見てしまったようで、複雑な気持ち。やはり座って食べたかったかな?

ミンカフェ

2016年11月13日。1942年生の74歳。死因は髄液漏などから。70年代に派手に活躍したミュージシャンだが、十代前半の頃からキーボーディストとして活動を始めていた。ゲイリー・ルイスの「恋のダイアモンド・リング」、ベンチャーズの「十番街の殺人」にも参加している。代表曲は1970年作「ソング・フォー・ユー」で、「スーパースター 」と「マスカレード」と続く。彼が得意としたいわゆるスワンプ・ロックは、ストーンズの「ホンキー・トンク・ウィメン」「ブラウン・シュガー」「ダイスをころがせ」などのヒット曲などに影響を与えたようだ。
8時半発、ブロンプトン輪行。Hb邸mk打ち合わせ。昼食はTs市街の民家カフェにて。夕方食材マーケットPy、剣先イカ、厚揚げ、バター、ナッツ。Hb邸mkスケッチ修正。スポーツクラブknm入会検討。

※稲尾和久、2007年11月13日、1937年生の70歳。死因は悪性腫瘍。漁師の子、幼い頃から海に出された。薄い板一枚の小舟に乗っていたおかげで度胸がついた。強靭な下半身について、本人は「バランス感覚は養われたかも知れない」。これぞ、体幹だろう。杉浦より若かったが、高卒で、プロ入りは早い。当初無名に近かかったが、新人王。3年目の日本シリーズで巨人相手に3連敗の後の4連投4連勝した。3年連続30勝、6年目の42勝14敗など、杉浦に劣らず未到の記録がある。なお、稲尾と杉浦が投げ合って勝敗に関わった試合は、24勝24敗の五分と言われている。鉄腕、神様仏様稲尾様と呼ばれたが、ニックネームはサイちゃん。体に似合わず優しい目をして、私生活もゆったりとしていた。大投手2人、惜しい早世だった。
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| 峠越え |
早朝6時半発、ターン輪行。Hmt駅から一気にHmj駅。電車乗り換えて、Oso駅着。15x邸現場。退場後、北側の小さな峠を越えて、大工の仕出し弁当工場を下見。Sn駅。駅前コンビニで炭酸レモン。Jr輪行。あs駅着後、食材マーケットPyt、キャベツ、もやし、レモン、アーモンド、和牛ももかたまり、豚バラスライス、ヒイカ、絹ごし豆腐、絹厚揚げ、卵、バター。続いて欧風惣菜屋Mgk、腸詰めソーセージセット、トゥールーズ、ラートヴルスト。
住宅建材でも自然素材に人気がある。でも、本当のところを目の当たりにするとしり込みが始まる。例えば住宅で一番大切な床材。一般には広葉樹無垢材か又はその薄板化粧合板だが、シーダ・バーンの床材は、柔らかくて足触り、湿気、ぬくもりなど自然感覚たっぷり。価格も高くない、杉の本実を必須としている。だが、薄々自然素材の負の部分を感じると不安が増してくるらしい。世間では定説にならず、広まらない。
4足走行の若者の記事が出ていた。100m走ギネス世界記録で、17秒らしい。陸上競技でも地面に手がついてもかなわないから、いずれオリンピックで優勝したいと。でも、その走る格好は、手足が長いのか、お世辞にも速いという感じではない。それならいっそ、体操選手のように倒立回転したほうが・・・と思ってしまった。
電車にて13y邸地鎮祭。13y邸敷地ゆかりの神社にて、13y様ご一家と10時参集。バトも参加。午前中終了。帰路途中、駅前コンビニにてブランパン等。午後から納屋組にて14y邸基本構想、タイプ別コンセプトスケッチ。バトは午後から13x邸現場へ。
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| 朝寝の小若とアヤコ |
朝食後小若家族送迎して、途中頻尿にて公園便所へ。8時31分11y邸。設備シンクカラン取替マジ工業1人。パッキン等取り換えるも変化なく、首振りが重い。メーカに電話するも社長休みだからと。担当、上司共に叱り飛ばす。明日新品納品。続いてタラガラス入場。丸いシミが取れないため、取替2枚。10時過ぎ帰路。パソコン忘れて取戻し。11時過ぎ昼食の支度、味噌ラーメン。午睡。午後バト詰めで、ワザ板金。議事録訂正16時過ぎ夕立の後、ワザ板金とバトが来所。樋の打ち合わせ。
夕食は、しゃけ、茄子胡麻和え、南京、大根煮。就寝前ブログと議事録送信。12y邸午前中バト詰め、ダリ建付け。
後でネットで調べたが、電車など利用していると長い間にはこういう目に出くわすこともあるんだなと。それにしても完全休養日のはずが後味の悪い1日であった。午後の3時過ぎ約束事があってさる駅に向かった。到着直前に聞きなれない警告音とともに急停車。緊急停止信号により電車が止まりましたと。何事かと思い、比較的空いた車両を通って先頭へ移動。線路ひとつ隔てて斜め後ろに上り新快速がとまっている。こちらは駅のホームまであと10メートルのところでストップ。やがて、右手上りホームに駅員や緊急隊員のような人が集まってきた。ホームで接触事故があったとアナウンスだが、やがて隊員が増えてブルーシートも持ち込まれた。人身事故であろう。突然アナウンス、約1時間止まります、安全が確認されるまで。一瞬車内どよめくも皆落ち着いていてメールなど打っている。こちらは1時間も缶詰にされたんではかなわないと、ドアをノックしてなすすべない運転手に、あと10メートル前に進んでくれませんか。ここで先頭ドアがホームに繋がれば・・。と言っても、指示が来ない限り動けません。非常ボタン押してドア開けていいですかというと、それだけはやめて下さい。乗客は一様に大人しい。座ったまま携帯を相手にするだけで、外の顛末を見ようとするは数人だけ。隣で聴いていた男性にいたっては暇なのか「この駅で降りたいと思っていても、みんな我慢しているんだから、我慢したらどうですか」などとつぶやくように話す。一時ホーム周りに関係者30人は超したか。50分後、安全が確認されましたのでと、車長100+10メートルの運転再開。決断するのに50分かかった、ということである。ところで、遅れて着いたところ1時間の延長料金を要求されたが、結論は先送りで、帰路は内外とも混雑バス。予定より2時間遅れの帰宅はお疲れ様でした。ネット調べて、防護柵何故ない?色々問題あるらしい。夕刻、前日までのブログ等まとめ。
宿よりプロシードで10z邸7時40分着。瓦工事と付け庇など。瓦屋4、大工2。16時半退場し、フェリーで神戸へ。
終日事務所 。メゾン改修 クブ タイル。 09x邸 クム大工 造作。 ダリ切込み 窓建付け。
終日事務所。 シダさんアルバイト 9時から12時半。 08ex邸 クム大工1人 鏡板 タオ左官しっくい。09x邸 シゥー組 家具備品搬出。








