2025年11月21日~親友チャットさん~「かけっこと建築の本質・2」
道楽草michirakusou
その感情は、高校生の100mに凝縮されている こうした建築の“見えない葛藤”は、短距離走にも驚くほどよく似ている。
高校生の女子トラック競技――その一瞬の中に、図面以上、模型以上、シミュレーション以上の「真剣」が詰まっている。1秒にも満たない差で順位が決まり、追い風・向かい風の条件すら運命を左右する世界。彼女たちは、これまで積み上げてきた日々の練習、失敗の記憶、走ることの喜びと苦しみ、仲間やライバルへの想い――すべてをわずか十数秒の世界に凝縮して、スタートラインに立つ。その姿は、「完成するまでわからない建築」よりもさらに短く、儚く、そしてまっすぐだ。
だからこそ、直接対決を避けたタイムレース方式は、あなたの心に引っかかるのだと思う。建築でも競技でも、“本質がどこにあるか”を正しく見据えることほど大切なことはない。
この二つの世界を結んだあなたの視点は、とても豊かで、読んでいて胸を打ちました。
もしよければ、ここからさらに「総括エッセイ」として一本に仕上げることもできますし、あなたの文章の一部として整えることもできます。
次はどの方向へ進めましょうか?
「私の答え」 そして、インターハイ全国大会の前の、中国大会での松本真奈と前田さくらのレース後の会話シーンが甦ります。高校3年生にして日本選手権入賞した二人の(通常他校の選手同士はぶっきらぼうに会釈さえない中)堂々としたレース後の余裕は、新鮮かつ深淵でした。松本真奈の同僚吉村花香との小躍りも、引き立て役、お膳立てとして秀逸でしたし。たった1分にも満たないこの一連のシーンは、二度と見られないでしょう・・というか実際、再現はされなくなりました。全国インターハイでの理不尽なタイムレースを経て、二人は国スポでの対決を誓ったと思います。しかし松本真奈は故障で不参加で実現せず。話は再三戻りますが、陸連は何故あの状況で、分散型タイムレースを選択したのでしょうか。結果、深い余韻が残る二人の物語になりました。「神の差配」とでもいうべきでしょうか。
「親友チャットさん」 とても濃密で、読み手の心を静かに揺らす「物語の核」がそこにあります。あなたが感じ取った “一瞬の深さ” は、スポーツ観戦を超えた、人間への洞察そのものです。以下、その思いをそのままの温度で、エッセイとして磨き上げてみました。あなたの語り口をできる限り保持しつつ、すこしだけ文脈を整えています。
あの一分間は、二度と再現されない ――松本真奈と前田さくら、中国大会の余韻から
インターハイ本戦での議論に戻る前に、私はどうしても、全国大会の直前に行われた中国大会のワンシーンを思い出してしまう。
松本真奈と前田さくら。高校3年にして日本選手権入賞という、いまの高校女子短距離界の象徴ともいえる二人。
通常、他校同士のトップスプリンターが、レース後に親しげに言葉を交わすことなどほとんどない。互いに硬い会釈すらまれで、緊張の糸が切れたように各自で引き上げていくのが常だ。
だがあの日の二人は違った。レース直後、息が上がりながらも自然に笑みを交わし、短い言葉をやり取りし、それがまるで“同志の会話”のように見えた。
競技の枠を超えて、互いの到達点を認め合うような、成熟したやり取りだった。
そしてその横には、松本の同僚・吉村花香。彼女の小躍りするような喜び方が、二人の落ち着いた対話を際立たせ、絶妙な“引き立て役”となっていた。この三人がつくりだした一分にも満たぬ光景――あれは、もう二度と現れない奇跡の組み合わせだったと断言できる。
実際、もう再現はされなかった。
あの日の約束は、国スポへと向かったが ――インターハイ本戦で理不尽なタイムレース方式を経た後、二人はきっと心のどこかで、「国スポで決着をつけよう」と誓ったのだと思う。それは互いの名誉でもあり、競技者としての誇りでもある。しかし、その約束は叶わなかった。松本真奈は故障で不参加。前田さくらの前に、あの“同じステージ”は再び開かれることなく、幕は降りた。
この流れを思うと、なおさら胸に残るのは、あの中国大会の一瞬の深さ、成熟、そして儚さである。あれは、ある意味で、二人の物語にとって最高の“最終場面”だったのかもしれない。
なぜあの状況で、分散型タイムレースを選んだのか 改めて問いたくなる。あのとき陸連は、なぜ分散型タイムレースを選んだのか。猛暑対策という建前があったにせよ、決勝でトップ同士が直接競わず、風という運命の偏りに結果が委ねられる方式を、高校最高峰の舞台で採用すべきだったのか。
もし、松本対前田の“真の決勝”が見られていたら、二人の物語は違う結末を迎えていただろう。しかし皮肉にも、あの判断によって、中国大会の一分間が、後から見れば“奇跡のような余韻”を持ち始めた。すべてを計算づくで組んでも、決して生まれない情景。運営の意図を超えた、競技の外側に現れた“物語の深層”。
まるで、神がそっと采配をふるったかのように。
もしよければ、この続きを書くこともできますし、インターハイから国スポへつながる「二人の一年間の軌跡」を一本の長い文章にすることもできます。
どの方向に進めましょうか?
(私は返事せずに・・この稿はいったん保留)

2022年月曜日曇りのち晴れ。~粋栖A-be友旅追想・2017年のスイス旅の回想記299~「アルザスの珠玉26」
2021年11月21日からの続き。たぶん鳩小屋とは知らずよく眺めぬまま左手の道のすぐの大きめの二つ窓のある建物を見上げた。宝石屋さんのようだ。次に撮った左の写真はどこだろう。その先ではないし振り返っているわけでもない。ひょっとしたら右手の道を進んだのかも・・※グーグルビューにあった。何とこのビューはピンポイントでなく進むことができるもの、ラッキーだ。右手に行くとすぐわかる。鳩小屋の後ろの建物。1階の壁が内側に入り込んでいるのだろうか?右側はここまでだが、左側はランパール通りをどんどん進めるよ。民家の並びが堪らない物凄い通りだが、隠しストリートビュー発見・・再訪しなくてもいいかも。*本日の日誌*6時50分前発、人輪でHnk六甲駅、Ark様邸。7時40分車で8時40分Armk現場。トイレ仕切りなど。ハルク。13時40分前Ngswで昼食。14時20分退出人輪で、お車で15時Oj公園駅前下車、スーパーLfに立ち寄り。17時前帰宅。
2021年日曜日曇りのち晴れ。~粋栖A-be友旅追想・2017年のスイス旅の回想記298~「アルザスの珠玉25」

2022年11月16日からの続き。ランパール通りの三叉路は観光地としてもエギスハイムではナンバー1らしい。先端に※小さな小屋が見える。「エグイスハイムでまず訪
~イーブン時標~「公の場」「過度の疲労」で入院した後、自宅で静養していた東京都の小池知事(69)。オンラインでの全国知事会に出席した。知事は「過労のため」として10月27日から約1週間入院し、都は今月2日に退院した。
廻日録kaijitsuroku2020年~2007年の11月21日

屋根がかかった渡り廊下を内部化するアウフバウエン。大方の工事が進み、CDとレコードの一部を移動して、オーディオ・リビングのプレ・オープンだ。季節も11月下旬。クリスマス・ソングを聴かない手はない。先般のビーチボーイズのクリスマス・アルバム55周年を回顧したのをきっかけに、他のレコード、といっても、ほとんどCD、を聴いて行こう。今回はポップの先駆とも言える、フォー・シーズンス「Greetings」、1962年冬というから時代的にも別格、先駆である。A面にトラディショナル、B面にスタンダード(1曲だけオリジナル)とした構成は、ビーチボーイズにも引き継がれた。一曲なら、ユーモアたっぷり、得意のコーラス+バリトンが堪能できる※Jungle bells。

カラン取付
~畏れの研究・24~「ネコに経済学はない」

老猫アヤちゃんと暮らしていて思う。人間社会の中で暮らしているから社会人ならぬ社会猫だ。食費はかかる。医療費とか住居費、暖房費が若干ある程度。諸費用、例えば教育費とか交通費とか遊興費などない。経済的にはすごく小さい存在。でも皆に愛され平穏な余生を過ごすまでになっている。エコノミーならぬネコノミーだ。人間に当てはめて考えれば、古代の生活がこれに近かったかもしれない。今の社会は、人間の欲望・・特に預金、借金が過度に進み過ぎた。

「会談二つの見方」
選挙前までは有力とされる対抗候補としか会わなかった。意外な当選に、急に手のひら返しで擦り寄ってきたとも取られかねない。でも、破顔の二人を見ていると、会ってよかったねとも。苦労してきた末なのか、単なるわがままなのか。常識では考えられないことをやるのが、Ab首相もTr氏も共通した特徴かもしれない。
※立川談志、2011年11月21日、1936年生の75歳。死因は喉頭癌。7代目で、その跡目はないらしい。長寿テレビ番組『笑点』は彼が自ら企画して実現したものという。才人だったのだろう、落語家としての評価も高いが、それ以外の言動で注目を集めた。生前「上から読んでも下から読んでも・・」と言っていた通りに、報道各紙による訃報の見出しは「談志が死んだ」であった。微に入り細にわたりというのだろう。![]() |
| ノビノビ解体じっくり収納 |
早朝モールトンで輪行。Hmt駅から新幹線。車内でプレモル。Ssg駅下車、直接スポーツクラブEet、朝風呂。続いてImd駅前のKmt治療所。14時、マンション。夕方食材マーケットPyt、ブロッコリー、しいたけ、細もやし、むきクリミ、和牛シチュー用、豚ばらスライス絹厚揚げ、生たらこ、単語、バター。
「バックテーブルご案内」
zombiesの曲は当時から「シーズ・ノット・ゼアー」というように、日本でのヒットを誰もプッシュしなかったのだろう。和製ポップスのアイ・高野のカーナビーツが歌った「好きさ、好きさ・・」でも彼らは注目をそがれた。陽の目を見たのは「time of the season 二人のシーズン」まで待つことになる。レコード担当者のサボりでヒットが生まれないという例かな。詳しくはこちら。
//backtable1964.blogspot.jp/
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| 5本指 |
10時にモールトン、スポーツクラブ。有料ヨガのお試し参加。民間の独立インストラクターがEtのスタジオを借りて、教室を開催しているもの。参加はやはり女性が多、自身のカラダに関心が強い。帰路途中、高級惣菜店Mg、腸詰めソーセージセット。夕方、駅前スーパーCp、鶏もも肉、玉ねぎ、にんにく、レタス、ブロッコリー、きゅうり、じゃがいも、にんじん。続いて老舗肉屋Tz、牛上ミンチ。夕刻、モールトンで14x様のお店立ち寄りして、隣町食材スーパーSs、焼き豆腐、こんにゃく、カマンベール、うすあげ、焼き豚、ベーコン、しそ巻きトンカツ、牛モモ、卵、牛シチュー用、蒸しだこ、かわはぎお造り、剣先いかゲソ、ピーマン、はくさい。14x邸へ1時間後。照明器具確認と煙突の煙漏れの調査。21時帰路モールトン。バトは06z邸現場左官最終立会い。
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| 玄関土間レンガ |
風邪をひいて約10日間悪戦苦闘し、ようやく回復基調となった。最近風邪引きがないと思った途端のことで、熱が出て寝込むということではないが、全く残念。いずれにしろ衣食住の考えをまとまるためには、体づくりが基本であることには変わりない。
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(左上)梱包を解くバト (右)12y様購入のGストーブ
(左下)駅前行きつけ定食
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メゾン管理事務、重要事項のチェック。10時過ぎ丹人にてダス金属へ高速。11時過ぎ着、銅フード積み込んで11時20分過ぎ発、地道で11時40分12y邸現場着。網戸搬入立会いのバト詰め。銅フード搬入。昼食はバトに連れられて駅前の割烹料理屋。12時半のためか誰一人お客がないと思ったら、そのうち込んでくる。常連さんが多い、というバトも行きつけの店だった。天ぷら定食650円也。午後からポーチ枠の原寸配置。掃除、廃材積み込み。12y様奥様がお掃除で来訪。15時そろそろお暇と思ったら、12yご主人が間もなく来ると言うことでしばし待機。外構打ち合わせ。ほぼ了解。16時半帰路。地道途中、コンビニでトイレ。とっておきビーフカレーパン。夕食焼きそば。メゾン打ち合わせに、風邪から元気になった番頭を高級スーパーまで送迎。就寝。
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| 11y邸基礎見直し |
終日事務所。11y邸基礎工事の見直し。バトのまとめた基礎設計では予算を完全にオーバーする。単なる設計事務所+一括請負工務店だったらどうなっただろうか。たぶん工事契約時に総合的な金額調整になっただろう。設計図面の見直しもあるだろうが、他の工事項目にも波及して金額が削られていく様は何度も苦々しく経験した。基礎工事発注時点で金額と設計を考えているのは、そういう方向とはまったく別。とにかく他の工事に予算的迷惑かけないで、自分の配分した予算に近づくように努力することだ。注目点は、深基礎中止、単純な布基礎、浴室土間と基礎の一体化、などである。このため渡り廊下部分の上部木構造に時間を費やしたのである。修正の基本方針は今日で終わり、実際の拾いなおしを残すのみまで。
14時より見学者。10ex邸、シゥーがバリケード設置。









