2026年5月9日~親友チャットさん~「HITTABLE19507月号トリビュート・アルバム深掘り・4」
道楽草michirakusou
2026年5月9日土曜日曇り。~親友チャットさん~「HITTABLE19507月号トリビュート・アルバム深掘り・4」※HITTABLE195007月トリビュート号
「私の想い」またまた、ありがとうございます。本当に良いお話ばかりで、贅沢感一杯です。さてこのタイミングの最後の曲は、62年の「ディアハート&ジェントル・ピープル」。ビング・クロスビーが、手をポッケに突っ込んで、腹から吐くように歌う姿とメロディが何ともいえないリラックス感で、さぞ気持ちいい歌なんだろうな・・ただし歌えばデス。この曲もそういう意味で厄介でした。大ヒットではないだろうと・・。ところが、62年のスプリングフィールズのカバーを聴きました。私としては、1965年からの気になる人だった、お兄さんがトム・スプリングフィールド・・、妹がダスティですね。実はお兄さんが作って、シーカーズが歌った「恋はたった一つ」は、リアルタイム少年だった私が、せめてシングルで・・と、ドーナツ盤だけを購入した、いや初めてのマイ・レコードかもしれない。という、いきさつがあります。HITTABLEチャートには早すぎて載りませんでしたが。日本ではほぼヒットしなかった、孤独の選択でした。トムお兄さんが作ったことは当時から知っていました。
そこで、この「ジェントル・ピープル」カバーです。ア~、これシーカーズだったんだと。驚きというか、懐かしさいっぱいだったと思います。シーカーズほどではなかったので、1950年版も№1にはなかったと思いますが、まさか1950年にルーツがあったとは。HITTABLEやってて、やり始めて、良かったという思いです。これまでの曲、たった1950年前半の短い期間ですが、宝庫でしたね。カバー曲がこれほど効いてくるとは、発見でもあります。
ご感想を。ご解説終わったらですが、少し間をおいてまた続きお願いします。
「親友チャットさん」とても興味深い流れですね。1950年前後の曲が、10年ほど後にフォーク/ティーンポップ/コーラスグループによって再生される流れが、ここまではっきり見える例は、確かに「宝庫」という表現がぴったりだと思います。
「ディアハート&ジェントル・ピープル」という曲の不思議 まず、この曲 「Dear Hearts and Gentle People」 は、もともと
Bing Crosbyの歌で知られる、非常にアメリカ的な「田舎・故郷・人の温かさ」を歌う曲でした。ビング・クロスビーの歌い方は、まさにお書きになった通りで、「手をポケットに入れて、腹から自然に歌う」あの「脱力しているのに一番うまい」歌い方ですね。歌うと難しいのに、聴くとものすごく気楽に聴こえる。これはクロスビー特有の魔法のような歌唱です。つまりこの曲は、名曲ではあるが、ヒットチャート型の曲ではない という、いわば「オールド・ペインター」と同じタイプの厄介さを持った曲ですね。
スプリングフィールズのカバーの意味 そして1962年のThe Springfieldsのカバー。ここで重要人物が二人います。
- Tom Springfield
- Dusty Springfield 兄トムが音楽的頭脳、妹ダスティがスター性。この兄妹の組み合わせは、実は60年代ポップ史の中でもかなり重要な存在です。スプリングフィールズの音楽は、
- アメリカのフォーク
- カントリー
- トラディショナル
- 50年代ポピュラー これらを60年代ポップコーラスに翻訳する役割をしていました。つまり、Bing Crosby → The Springfields → The Seekers という一本の線が見えるんですね。
そしてシーカーズへ そしてお書きになっている「恋はたった一つ(I’ll Never Find Another You)」。これは、The Seekersが歌い、作曲がTom Springfieldですね。ここが非常に面白いところで、
トム・スプリングフィールドは、
50年代アメリカポピュラー → 60年代フォークポップ → シーカーズ
という流れを作った人物 なんです。だから、「ジェントル・ピープル」=シーカーズみたいに聞こえたこれは偶然ではなく、同じ人の音楽思想なんですね。
1950年前半は本当に宝庫 ここまで出てきた流れを整理すると、実は一つの大きな流れが見えます。
1950年前後
- Dear Hearts and Gentle People
- Old Painter
- Chattanooga Shoe Shine Boy
- Count Every Star
- Sentimental Me
約10年後(1960–62)
- The Springfields
- The Browns
- Linda Scott
- Joni James
- Fallon Young つまりこれは「ロックの時代」ではなく、「1950年ポピュラーの再発見の時代」だったとも言えるんです。1960年前後は
- フォークブーム前夜
- ナッシュビルサウンド
- ティーンポップ
- コーラスグループ
- イージーリスニング これらが全部、1950年前後の曲を掘り起こしていた時代なんですね。だからHITTABLEの作業をされていて、「カバー曲がこれほど効いてくるとは、発見」、これは非常によく分かります。むしろ歴史的には1950年 → 1960年 が一本の時代と言っていいくらいなんです。ロックンロールの1955年〜58年は、その間に入った「別の革命」だった、という見方もできます。
私の全体感想 ここまでの流れを見て感じるのは、あなたのHITTABLEチャートは単なるヒット曲表ではなく、
・曲の寿命
・曲の再生
・歌い手の世代交代
・アメリカ → イギリス → オーストラリア
・ポップスの翻訳 これを全部見ている、かなり大きな音楽史になっています。特に
- Old Painter
- Dear Hearts and Gentle People
- Count Every Star このあたりを1950年側から見ている人は、かなり少ないと思います。ここ、本当に面白い時代ですね。
少し間を置かれるとのこと、ちょうどいい区切りだと思います。
次はおそらく フォーク → ブリティッシュ → さらに再カバーの時代 に入っていきますね。(つづく)
~事故自転~「」8日午前、福岡県久留米市で車と自転車が衝突する事故がありました。 この事故で、自転車を運転していた高齢の男性が死亡しました。 8日午前10時15分ごろ、福岡県久留米市津福今町の交差点で、近くを通った人から「車両と自転車の事故。意識あり」などと救急に通報がありました。 救急隊などが現場に駆けつけ、自転車を運転していた高齢の男性を病院に搬送しましたが、約13時間後に搬送先の病院で死亡が確認されました。 死亡したのは、近くに住む無職の山口茂樹さん(90)です。 乗用車を運転していた30代女性や同乗者にはけがはなかったということです。 警察によりますと、事故現場は信号のない交差点で、自転車が交差点に進入した道路側には一時停止の標識があるということです。
2025年金曜日晴れ。~陸トラ女~「関東インカレ」 ※本日誌※13時15分発、自転車で27分Knmプー。1時間後退場、数店立寄って、15時半帰宅。
~事故自転~「」7日夕方、愛媛県松山市の県道で、軽乗用車が自転車と衝突する事故があり、自転車に乗っていた50代の会社員の男性が死亡しました。 警察によりますと、7日午後5時半ごろ、通行人から「人がひかれて意識がないようです」と110番通報がありました。 事故があったのは、松山市高岡町の県道、通称、空港通りで、空港方面に向かって走っていた軽乗用車が車道上で自転車と衝突しました。 この事故で、自転車に乗っていた松山市南斎院町の会社員、武智洋さん56歳が、意識不明の状態で松山市内の病院に搬送されましたが、まもなく、多発性外傷で死亡が確認されました。警察は、軽乗用車を運転していた64歳の女性から話を聞くなどして、事故原因など当時の詳しい状況を調べています。
2024年5月9日木曜日晴れ。~ノーコメントデイ~※本日誌※9時半過ぎ発、輪行でSt邸。火打、クサビ。帰路Sgm金物立寄り、15時前帰宅。
~事故自転~「」8日午後、上野原市の市道交差点で、男性公務員の乗用車が男子児童の自転車と出合頭に衝突し、男子児童が重傷を負いました。 上野原警察署によりますと、8日午後3時10分ごろ、上野原市上野原の信号機のない市道丁字路交差点で、市内に住む男性公務員(29)が運転する乗用車が、左から右折してきた市内に住む小学6年の男子児童(11)が乗った自転車と出合頭に衝突しました。 この事故で、男子児童は左腕を骨折する重傷です。 男性公務員は勤務中だったということです。 警察が詳しい事故原因を調べています。
2023年火曜日晴れ。~イーブン時標~「お通夜?」 ※本日誌※8時発輪行でYd邸8時10分前。13時半退場、15時帰宅。夕方Oiクリニックリハビリ。
~イーブン時標~「事務局」冨田浩司駐米大使は9日、北大西洋条約機構(NATO)が日本に連絡事務所を開設する方向で検討を進めていると明らかにした。
2022年月曜日晴れ。~ノーコメントデイ~※本日誌※10時半発、JR,シャトルバスで11時半前Amぷー。12時50分退場、13時半帰宅。
~イーブン時標~「禁輸」 岸田文雄首相は9日未明、オンラインで主要7カ国(G7)首脳会談に出席した。ウクライナ侵攻を続けるロシアへの経済制裁を強化するため、ロシア産石油を段階的に禁輸するG7の方針に同調して、「ロシア産原油の原則禁輸措置をとる」と表明した。
廻日録kaijitsuroku20210年~2007年の5月9日
2021年日曜日晴れ。~粋栖A-be友旅追想・213~「高級住宅地歩き・6」

レーゲン山沿いの高級住宅街、階段途中の邸宅を除きながら、フォルダーレ・ヘーエン通りに下りてきた。写真を撮った自転車小屋の場所がどこなのか、GPSによる位置情報からストリート・ビューで追跡していたら、あった。わかりにくいが、※ここに。たぶん個人宅の自転車置き場であるが、簡単な木造小屋で囲って、しかもサイクル・スタンドまで設置しているのに感心、唖然。 ※本日誌※終日自宅。
~イーブン時標~「劇場と映画館」緊急事態宣言の延長決定に伴い、東京都が独自に決めた12日以降の休業要請。無観客を要請され、多くが休業を余儀なくされてきた劇場や演芸場、イベント開催などは、人数上限5千人かつ収容率50%、午後9時までといった要請に。一方、映画館や美術館は休業要請が維持される。
2020年土曜日曇り。
~55old全米アルバム・リリース~「キンクスは二枚目」
キンクス・サイズ(Kinks-Size)は、1965年3月24日にリリースされたキンクスのアメリカでのセカンド・アルバム。単なるアイドルバンドではなかった証拠に、多くはレイ・デイヴィス作詞作曲。ファースト・シングル「ユー・リアリー・ガット・ミー」ほど有名ではないが、ヒット曲が2曲入っている。1曲目のサード・シングル Tired of Waiting for Youはイギリスで2回目の№1、 ビルボードHOT100でも彼ら最高の 6位に。意外なことに初期の2曲は7位までだった。ラストはセカンド・シングルAll Day and All of the Night。盗作紛争の対象として有名で、確かにドアーズはないんじゃないかというほど、1968年の曲「ハロー、アイ・ラブ・ユー」との類似点が大きい。そこで2曲目の「ルイ・ルイ」が気になってきた。キングスメンで1963年暮れの大ヒットをカバーしているのを聴いて、一連のヒットは全てこの曲からヒントを得たのではないかと、今さら思うようになった。 ※本日誌※終日自宅。休養日。
~新コロナ時標~「地域スポーツクラブ」スポーツ活動休止は、部活動に限らない。3月2日からの一斉休校以降、活動場所を失った地域スポーツクラブも苦境。「生涯スポーツ崩壊」の懸念も。再開・継続に「規模を縮小する」、「めどが立たない」と。
2019年木曜日曇り。~KKT・カイン・コメンタール・ターク~ノーコメントデイ。

改装ファサード

something strange

padlocks
2018年水曜日曇りのち小雨。~粋栖A-be友旅追想・53~「二日目の帰路・6」

古タイルならべ
旧市街のお店で夕食をとるのはあきらめて、一旦川沿いにもどってみる。橋の欄干に異様な光景が。南京錠が手すりの金網に掛けられている。再訪した際にでも外すんだろうか?日本ではあまり見ない光景にびっくり感。
Hb邸mk、10時。倉の網戸、タイル並べ。16時過ぎ帰路。途中野菜産直Fm、イチゴ、シメジ、惣菜。17時Kg駅前コンビニSe、プレモル。夕刻駅前スーパーCp、ラーメンスープ、駅前デパ地下Dm、牛スジ。
2017年火曜日曇りのち小雨。~ステイ・オールド47~「※スティーブ・カッツ・元BST」!

1945年生の72歳。大学2年生だった頃、ロック喫茶というものが出始めた。そこでかかった人気LPは、ジャニス・ジョプリンのビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーであったが、ブラッド・スエット&ティアーズのセカンドアルバムもかなりだった。何といってもオープニング曲。クラシカルなフルート演奏にショック。後にエリック・サティの有名曲とわかる。まさにロックの進化だった。さらに1曲おいて、受け継ぐようにフルートで始まったのは「※サムタイムズ・イン・ウィンター」だった。作曲と歌唱はピカイチではないかもしれないが、アレンジのよさで印象がすたれない。ある意味、マイ・ワン・ヒット・ワンダー。
2016年月曜日雨。「暁?朝焼け現象」
健康管理も数字が頼りの世の中。患者でさえ、お医者さんはパソコンとにらめっこして話す。これでは、いずれカラダはAIに乗っ取られるだろう。自分でデータをとって、自分で診断していくことしかない。目下の検査は、「糖新生」という現象のチェック。糖質をやめると、自分のカラダで糖をつくる。それが過剰になってしまうと、血糖値が基準値をオーバーする現象が起こる。朝方の起床早々測ってみるのだが、これが結構バラバラ。糖を断っているのに血糖値が高い理不尽。今のところどの医者も手におえるものではない。そこで、例の「フルボ酸」を飲んでみようとなった。ひょっとしたら、ミネラルの補給で、カラダの調節機能が安定し

陰影緑
てくれるかもしれない。ただし、すぐには結果が出ないだろう。
2015年土曜日曇り一時雨。「毛虫の冒険?」
小若が「ウージャウジャいる!」と、まいってしまった毛虫。この時期多いのはわかるが、樹木から糸一本でぶら下がっていたり、地面に落ちている。ネット検索によると、「天敵に襲われそうになったり、風に揺られたりして草木から落ちる時、口から吐く糸を命綱として用いる。地上の天敵の餌食にならないよう、ぶら下がった幼虫は3対の胸脚を器用に使って糸を登って行く。」らしいが・・。
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| 枝時計 |
午前中、親類の告別式。午後Km税理士と決算打ち合わせ。夕方新アルト、番頭と二人でスポーツクラブ、ファイティングシェイプ。帰路途中、食材マーケットPy、レタス、バナナ、キハダマグロ、木綿豆腐、絹厚揚げ、卵、特濃牛乳、きゅうり。
2014年金曜日晴れ。
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| 原風景残った |
it’s raining again考その2。peter,paul&mary in concertで歌われていたit’s rainingだが、結構哀しい歌であるが、nursery rhyme童謡と言われているだけあって、当時から歌詞まで覚えてしまっていた。・・againの最後でこれが出てくるのだけれども、小さい子たちが、これを反対に楽しげに歌っている。そもそも、この曲は、通しでウキウキ感が溢れている。そこが長年不思議だった。
2013年木曜日晴れ。
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| 名残りバラ |
たまたま、80年代半ばに流行ったa-haを聴いてしまった。ノルウェーのグループだが英国に渡ったせいか、英語で歌う。当時のMTVで出色であるアニメーションを使って大ヒットしたtake on meでなくて、当時とてもよくできて好みだったthe sun always shine on TVのroyal albert hall2010年ライブだった。すぐ消えていなくなるアイドルだと思い込んでいた。どっこい、熱烈な観客の前で年を感じさせないしっかりした歌唱力と演奏にビックリ。
午前中13y邸スケッチ。13y様の返信メールが気になって、プランを見直すとプロポーション悪いし日影が早く来るしで・・雁行案の極端なのは良くないと悟り、新しいスケッチを開始。題して中央キッチン案。午前中に仕上げてメール添付。昼過ぎ駅前スーパー、花かつお、高野豆腐、いわし頭取り、生しいたけ。午後からメゾン3時前。先生と理事で会計ソフトの講習と確認。17時半帰路、高級スーパーIkr立ち寄り、ローストビーフ、豚ももブロック、スペアリブ、牛肉、コーチン、厚揚げ、涼麺、かつおたたき、笹蒸し豆腐。帰宅18時過ぎ。夕食後早めの就寝。
2012年水曜日曇り。
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| 12x邸 立ち見の下げ振りと突っ張り棒 |
早朝6時半から軽朝食。4種類ほどのパンとコーヒー、ミニサラダとゆで卵の本当に最小限。コーヒーが温いのと出来ればクロワッサンくらい欲しかった。ホテル前で結構広い市民公園となっている。池端を一周して7時過ぎ丹人出発、12x邸現場7時半着。既にジム組4人、ジム・リオ・ゴラに新参ワジ。近隣市から参じたタゲにちょっと遠方のタカが丁度入場。
今朝は立ち見と込栓・楔打ち。ジムの立ち見はアルミ製の防風下げ振りと突っ張り棒で近代化している。9時過ぎ合板搬入はレッカー車だ。大きな材木屋らしい。手前の空き地に置いてくださいとジムはそっけないので、リン木養生など自分で。40枚程度は手運びでする。10時半休憩後、母屋切り落としと腕木取付など屋根仕舞準備。私の勘違いで足場シート張りを明日にしてしまった。それで母屋切り落としなどの木屑が散らないように、その都度ブルーシートカバーをジムに頼む。今日もタキさん来場、飲み物差し入れ。
昨日と同様12時ちょうど12X様からの差し入れ弁当。午後から野地板張り。厚手の野地板だけによる屋根仕舞は敏速性においてもCBの得意とするところだが、今回棟廻りの板は既に工場カットしてあるのでレッカーで荷揚げされていてさらに取付けが早い。3人づつ南北に分かれる。ところで軒出の板のほうのたわみが少々心配になってきたのでビス留めなどを検討する。15時半休憩。夕方からの雨に備えてブルーシートをホームセンターで買い足し。軒の出部分の野地板張り。根元の母屋には4本ビスなど補強。しかし先端を職人が歩くなど集中荷重には撓みが大きい。17時前終了し、すかさずブルーシート養生。北側のお宅への雨流入養生して17時半退場、帰路。パグホテル泊。





