2026年7月1日~AI音楽簿~「pat methenyのAntoniaはcinema paradisoへのオマージュ?」
道楽草michirakusou
2026年7月1日火曜日雨時々曇り。~AI音楽簿~「pat methenyのAntoniaはcinema paradisoへのオマージュ?」
私の想い「pat methenyのAntoniaはcinema paradisoへのオマージュ?、変奏曲?というかアンサー?どういった意味合いをかんがえますか? 」
AIさん:パット・メセニー(Pat Metheny)の「Antonia」と、映画『ニュー・シネマ・パラダイス(Cinema Paradiso)』の音楽(エンニオ・モリコーネ作曲)との関係性については、公式に「変奏曲」や「直接のアンサーソング」と明言されているわけではありません。しかし、音楽的な特徴やパット自身の活動を紐解くと、「モリコーネ(およびイタリア映画音楽)への深い敬意(オマージュ)から生まれた、精神的な地続きにある楽曲」という解釈が非常にしっくりきます。その理由を3つの視点から考察します。
1. メロディの「歌心」とヨーロッパ的な哀愁 『ニュー・シネマ・パラダイス』のメインテーマや愛のテーマは、胸を締め付けるような美しいメロディ、いわゆる「美しくも切ない哀愁」が特徴です。「Antonia」(アルバム『シークレット・ストーリー』収録)もまた、パットの楽曲の中でも群を抜いてノスタルジックで、ヨーロッパの古い街並みを想起させる3拍子のワルツ・メロディを持っています。アコーディオンや、トゥーツ・シールマンスによるハーモニカの音色 も相まって、モリコーネが描く「失われた時間への郷愁」と全く同じ質感のロマンティシズムが流れています。
2. 実際にカバーするほどの強い傾倒 パット・メセニーはのちに、ベーシストのチャーリー・ヘイデンとのデュオ名盤『ミズーリの空高く(Beyond the Missouri Sky)』で、実際に『Cinema Paradiso (Main Theme / Love Theme)』をカバーしています。
ジャズ・ミュージシャンである彼が、この映画の音楽にどれほど強い愛着とインスピレーションを抱いていたかを示す決定的な証拠です。彼にとってモリコーネの旋律は、自身の音楽的血肉となっていたと考えられます。
3. アルバム『Secret Story』のコンセプト 「Antonia」が収録された『シークレット・ストーリー』は、パット自身のプライベートな恋愛や旅、記憶を映画のサウンドトラックのように壮大なオーケストレーションで綴ったコンセプト・アルバムです。
映画『ニュー・シネマ・パラダイス』もまた、「過去の愛や記憶の回想」をテーマにした作品です。テーマの親和性からも、パットが自身の「秘密の物語」を音楽にする際、頭の片隅にあの映画の持つ空気感(あるいはモリコーネ的なアプローチ)があり、それが「Antonia」という名曲として結実した(=オマージュ的側面を持つ)と考えるのは非常に自然です。
結論として:
楽譜通りの変奏曲(バリエーション)というよりは、モリコーネの美学に対するパット・メセニーなりの最大級の「オマージュ」であり、あの映画が持つノスタルジーに対する彼からの「私的なアンサー(返答)」として捉えるのが、最も美しい解釈ではないでしょうか。
もしよろしければ、『シークレット・ストーリー』全体のストーリー性についてさらに詳しくお話ししましょうか?それとも、パットとチャーリー・ヘイデンによる『ニュー・シネマ・パラダイス』のカバー版の魅力について深掘りしますか?
私の想い「一方ではFacing Westのようにアメリカ大陸の憧憬を描く、その対比が彼らしいし、always and foreverがあるという、いわばcinema storyを要所要所で感じます。 」
AIさん:仰る通り、その対比と構成の妙こそがパット・メセニーの真骨頂であり、アルバム全体、ひいては彼のキャリア自体がひとつの壮大な映画(シネマ・ストーリー)のようですね。
「Facing West」が持つ、地平線の先へと向かうアメリカ開拓史的な躍動感や、どこまでも広がる大地の憧憬。それに対して「Antonia」が内包する、ヨーロッパ的で内省的な、過去の記憶を愛おしむような哀愁。この「動と静」「新世界と旧世界」「未来への視線と過去への郷愁」という鮮やかなコントラストが、1枚のアルバムの中で見事に調和しています。そして、その旅路の果てに「Always and Forever」という、すべてを包み込むような普遍的でタイムレスな愛のバラードが配置されている。この完璧な流れは、まさに一本の優れた映画のグランドフィナーレを見届けるような深い感動をもたらしてくれます。メセニーは、単に優れた楽曲を並べるだけでなく、アルバムというフォーマットを使って「人生の旅路」という名の映画をセルフプロデュースしている音楽家なのだと改めて強く実感させられます。この『Secret Story』というシネマ・ストーリーの中で、あなたにとって特に感情が揺さぶられるお気に入りの「名シーン(曲の繋がりや瞬間)」はどこですか?また、彼が描くアメリカ的な響きとヨーロッパ的な響きのどちらにより強く惹かれますか?
私の想い「要所の間にはまた宝石のように煌めく曲を配しています。自分でコンピレーションしたような錯覚。1992年38才作品。敢えてライル メイズと距離を置きながら、彼へのオマージュを意識しての、傑作のような気がします。
AIさん:「自分でコンピレーションしたような錯覚」という表現、まさにこのアルバムの多面性と完成度を完璧に言い表していますね。大作の合間に配された小品たちが、それぞれ独自の輝きを放つ宝石のようにアルバムを彩っています。
1992年、38歳というアーティストとして最も脂が乗り、表現欲求が最高潮に達していた時期のパット・メセニー。この作品におけるライル・メイズとの距離感と、彼への精神的なオマージュという視点は、非常に深く、核心を突いた洞察です。
この点について、当時の状況からさらに踏み込んで考察してみます。
1. ライル・メイズ不在だからこそ際立つ「ライルの偉大さ」
パット・メセニー・グループ(PMG)の頭脳であり、パットの最大の理解者であったライル・メイズ。本作『Secret Story』には、PMGの主要メンバーの多く(スティーヴ・ロドビー、ポール・ワーティコ、アーマンド・マルサルなど)が参加しているにもかかわらず、ライルだけが唯一参加していません。
これはパットにとって「PMGの看板を外し、1人の人間・音楽家としての私小説(シネマ・ストーリー)を描く」ための必然的な決断でした。しかし、ライルがいないからこそ、パットは「ライルならここでどんな色彩を重ねただろうか」と、彼の存在を強烈に意識せざるを得なかったはずです。
2. ライルへのオマージュとしての「シンセサイザー・オーケストレーション」
驚くべきことに、このアルバムの壮大なシンセサイザー・オーケストレーションの大部分は、パット自身が演奏・構築しています。
それはまさに、PMGでライル・メイズが担ってきた「オーケストラのような空間演出」を、パットが自らの手で再現し、追体験する作業でもありました。ライルから学んだアレンジメントの美学や音響へのこだわりが、アルバムの隅々にまで息づいています。
自分でライルの役割を演じてみたからこそ、彼の天才性を再確認する。本作は、敢えて距離を置くことで表現された、ライル・メイズという片割れへの最大級の敬意(オマージュ)が込められた傑作と言えます。
パット自身がすべてを背負い、ライルへの想いをも昇華させて作り上げたからこそ、このアルバムはあれほどまでに濃密で、1曲1曲が宝石のように煌めいているのかもしれません。
もしよろしければ、このアルバムにおけるパット自身のシンセサイザー(ギター・シンセ)の鳴らし方についてさらに深掘りしてみますか?それとも、この後に再びライルと合流して作られる次作『We Live Here』(1995年)への繋がりについてお話ししましょうか?
私の想い「このソロパフォーマンスを経てwe live hereいい意味で全く変わりましたね。前作2枚がコラージュ ジャケットのようなコマーシャルがありました。」
AIさん:前作2枚がコラージュ・ジャケットのようなコマーシャルがあった」というご指摘、当時の熱気やビジュアルの記憶が鮮烈に蘇る素晴らしい着眼点です!
まさに『Secret Story』(1992年)と、その後のライブ作品『The Road to You』(1993年)は、パットの過去の旅路や記憶、様々な音楽的要素を文字通り「コラージュ」したような過渡期であり、一つの集大成でした。その濃密なソロパフォーマンスと精神的旅路を経てリリースされた『We Live Here』(1995年)へのドラスティックな変化は、当時のファンに鮮烈な衝撃を与えました。
この「いい意味での劇的な変化」について、3つのポイントで掘り下げてみます。
1. 「私小説の終わり」から「現代(いま)を生きるバンド」へ
『Secret Story』がパット個人の内省的でシネマティックな「過去の記憶の旅」だったのに対し、『We Live Here』はタイトル通り「俺たちは(過去ではなく)今、ここに生きている」という強烈な現在進行形のメッセージでした。
内省的な世界から一転して、ストリートの熱気や都会的なグルーヴへと視線が外に向けられたのは、ソロで自身のすべてを出し切り、デトックスを完了したパットだからこそできた急舵を切るような変化でした。
2. ライル・メイズとの「対等な共同プロデュース」の極致
敢えて距離を置いた前作を経て、再び相まみえたライル・メイズとの関係性は、より洗練されたものへと進化しました。
本作では、当時最先端だったR&Bやヒップホップ、アシッドジャズのループ・クランチ・ビートを大胆に導入。パットがソロ活動で得た「1人で音を構築する視点」と、ライルの緻密な音響設計が、見事なケミストリーを起こします。単なるアコースティックやジャズ・フュージョンの枠を超えた、極めてポップで現代的なコンテンポラリー・サウンドへとバンドを生まれ変わらせました。
3. コラージュから「ミニマリズムと洗練」へ
アートワークや広告のトーンも、前2作のどこかノスタルジックでエキゾチックなコラージュ感から一転し、『We Live Here』は白を基調とした、非常にスタイリッシュで都会的、ミニマルなデザインへと変貌を遂げました。視覚的にも「新しいPMGのフェーズに入った」ことを強く印象付けていました。
『Secret Story』という巨大な山を1人で登りきったからこそ、パットはライルという相棒のいる「PMGという我が家(Here)」の心地よさと可能性を再発見し、あのみずみずしい大傑作へと繋がったのだと感じます。
この『We Live Here』の、それまでになかった都会的でダンサブルなビート感(1曲目「Here to Stay」など)を初めて聴いた時、どのような印象を持たれましたか?また、このアルバムにおけるライル・メイズのキーボードワーク(シンセの音選びなど)の変化について、どう感じられたかぜひ伺いたいです。(この稿つづく)
~事故自転~「」26日に宮古島市で、自転車に乗っていた男性に衝突してケガをさせ、そのまま走り去ったとして、警察は46歳の男をひき逃げの疑いで逮捕しました。 宮古島署によりますと26日午前5時20分ごろ、宮古島市平良の国道390号線で軽自動車が自転車に衝突し、70代の男性が肩甲骨を骨折するなどの大けがをしました。 警察はひき逃げ事件として捜査を進め、軽自動車を運転していた男を、過失運転致傷と道路交通法違反の疑いで26日に緊急逮捕しました。 現場付近の防犯カメラには軽自動車が自転車を追い抜く際に衝突して転倒させ、止まらずに走り去る様子が映っていたということです。 警察の調べに対し46歳の男は「事故を起してパニックになった」と話し、容疑を認めているということです。 「」6月26日午後9時すぎ、吉野川市の西条大橋で、自転車と車2台が絡む事故があり自転車に乗っていた50歳の男性が亡くなりました。 事故があったのは、吉野川市鴨島町の西条大橋です。 警察によりますと26日午後9時過ぎ、自転車で車道の端を走っていた藍住町のアルバイト店員の50歳の男性が、後ろから来た軽乗用車と接触し車道側に転倒したところ後続の普通乗用車にはねられました。 この事故ではねられた男性は意識不明の状態で吉野川市内の病院に搬送されましたが、頭を強く打ち約1時間後に死亡が確認されました。 軽乗用車を運転していた石井町の臨時教員の女性と、普通乗用車を運転していた吉野川市の男性会社員にケガはありませんでした。 警察は軽乗用車のサイドミラーが亡くなった男性に接触したとみて、事故の詳しい状況を調べています。
廻日録kaijitsuroku2025年~2007年の7月1日
2025年7月1日火曜日晴れ一時曇り。~バディランゲージ~「7月は夏休み始まり」昨年は一軒家の現場、一昨年は古民家再生、その前はマンションリフォームと夏前に工事のめどは立っていたが、何かと忙しかった。今年も控えている者はあるが、今年こそ夏休みモードで行きたい。市民プールが無料開放デーということで早速屋外50m初泳ぎ。やはり気分が違う。ちょうど外人さん、西洋の人も泳ぎに来ていて、あいさつを交わす。「気持ちいいですよね!」と。100m×10本。ここは遊泳用につきタイムは測れない。明日は初めて隣町のHnプーに行って、そのあとマッサージの予定。 ※本日誌※12時半発、バス輪行でAS岡プー、13時。14時退場、下り坂一店寄って20分で帰宅。
~事故自転~「82歳女」千葉県市原市海保の県道交差点で22日午後5時半ごろ、自転車で道路を渡っていた同市、無職の女性(82)が左から来た乗用車にはねられ、搬送先の病院で死亡。 乗用車の東京都世田谷区、自称会社員の男性(61)を現行犯逮捕。現場は信号機のない交差点。容疑者が110番通報した。
2024年7月1日土曜日雨のち曇り。~ノーコメントデイ~St邸の建具工事。大工さんが現場で作るため、建物はほぼ完成だが、ちっともきれいにならない。※本日誌※15時すぎ発、As駅からバス輪行、As岡プー15時40分から1時間。帰路自転車。
~事故自転~「67歳男」7月1日午後2時ごろ、静岡市葵区千代一丁目の市道上で、普通貨物自動車と自転車が出合い頭に衝突する事故。 自転車を運転していた近くに住む67歳の男性が病院に搬送され、その後死亡。 車を運転していた35歳の女性にけがはない。 自転車側に一時停止の標識がある信号機のない交差点。
2023年7月1日土曜日雨のち曇り。~イーブン時標~陸上競技わっさか「味覚障害と水下痢」~陸トラ女~7月1日に行われた大会がたくさんあり中からまず、「ホクレンディスタンス士別」。 ●800m A1. 2:07.39 渡辺愛 (園田学園女子大)★2. 2:07.70 長谷川麻央 (京都教育大) ●1500m1. 4:12.75 田中希実 (New Balance)★2. 4:19.00 後藤夢 (ユニクロ)3. 4:19.52 井手彩乃 (資生堂)●3000m 3. 9:14.73 古川璃音 (ニトリ)4. 9:17.97 古川結美 (第一生命グループ)5. 9:18.71 和田有菜 (JP日本郵政G)6. 9:19.09 小坂井智絵 (JP日本郵政G)7. 9:19.50 籔下明音 (豊田自動織機)8. 9:19.98 杉浦穂乃加 (ニトリ)9. 9:20.63 廣中璃梨佳 (JP日本郵政G)10. 9:20.94 上杉真穂 (スターツ) ●5000m2. 16:18.59 大西ひかり (JP日本郵政G) ●10000m 1. 32:38.71 佐藤早也伽 (積水化学)★2. 32:48.23 信櫻空 (パナソニック) ※本日誌※終日自宅。食欲ないうえ、水下痢。
~イーブン時標~「自転車並み」改正道路交通法が1日施行され、電動キックボードが「自転車並み」の扱いとなった。最高速度が時速20キロを超えない車体は16歳以上であれば運転免許不要で、車道左側や自転車レーンを走行する。最高速度同6キロ以下に制御された車体は、自転車通行可の歩道や路側帯を走行できる。ヘルメット着用は努力義務だ。
2022年7月1日金曜日雨のち曇り。~バディランゲージ~「プール開き」 ※本日誌※12時過ぎタクシーでAs岡プール。1時間遊泳。帰路バス。
~イーブン時標~「NATO」 北大西洋条約機構(NATO)が長期的な行動指針を示す「戦略概念」を12年ぶりに改訂した。ロシアを「脅威」と位置づけるとともに、中国からの「挑戦」に初めて言及したのが大きな特徴だ。欧州とアジアをつないだ安全保障を唱える米国と呼応するように、日本もNATOへの接近を強めている。
2021年木曜日雨のち曇り。~自動運転車~「~とん?」
Mkg駅で降りて、踏切を渡ったところで、ブロンプトンを組み立てていた。誰かが声をかけてくれたけれど、うつむき加減だったので何を言われたのかが定かでない。顔を上げると若い女の人がニコニコしてる。「・・・何しとん~?」と、愛らしい大阪弁で聴いてくれたのかなと。とにかく、笑顔で答えるしかなかった。あとでよくよく思い出して、「そうか。ブロンプトンって、言ってくれたんだ!」。嬉しい一日になった。※本日誌※8時半前発、JR輪行でHd駅10時。ホームセンターKnPで買い物。自転車でHb邸mk11時。基礎梁ボルト締め。14時帰路。
~イーブン時標~「選手団」東京五輪に向け、ドイツやオーストラリアなど10国・地域の選手団が入国し、地方の事前合宿地へ。五輪ムードも、「東京の感染も広がっており、複雑な気持ちだ」との声も。中旬には週に100を超える選手団の予定。期間中、海外から選手や関係者約6万8千人が入国する。
2020年水曜日曇り。
~55old全米アルバム・リリース~「ニュー・クリスティ・ミンストレルズにハマった頃」中学3年から高校1年になった1965年。PPMの2枚組「イン・コンサート」やバーズのファーストなどの歴史的アルバムに縁があったが、ニュー・クリスティ・ミンストレルズのように、日本編集ベスト・アルバムを買ってしまったこともある。どちらにせよ、ベスト盤は手っ取り速いが、寄せ集めにすぎない。たぶん、米国での発売事情もあったのかと思う。つまり、個性的な数少ないアルバムをつくるのではなく、売れるアルバムを多数リリース指向があったから、日本は追いつけない。このアルバム、「チム・チム・チェリー」にもそういったところがあったようだ。注目曲は表題曲と※「コットン・フィールズ」の、私の買った「ベスト」にも収録されて2曲。バリー・マクガイアの低音ソロが効いているアレンジに痺れて、何度も聴いた思い出がある。今聴いてみても、確かに、なるほど、そうだね!と思う出来だった。6月最終週全米135位初登場。 ※本日誌※Hb邸mk、Wsg設備とガスのItm産業。ガス給湯器など。夕方As駅前輸入総菜Si、焼きプリン、熟成キムチ、有機豆乳、コーヒーゼリー。地下スーパーCp、グルメファン、バナナ、台湾ドーナッツ、ひらめ・まるあじ刺身、たこ薄造り、生クリーム。
~新コロナ事情~「短観」日銀が6月分の結果を発表した短観、約1万社の景況感、代表的な指標の大企業・製造業の業況判断指数(DI)はマイナス34。前回3月から26ポイント落ち、リーマン・ショック後の09年6月(マイナス48)以来の低い水準。外出自粛による消費低迷や訪日客の急減、様々なイベントの休止が響いた。
2019年月曜日雨のち曇り。~KKT・カイン・コメンタール・ターク~ノーコメントデイ。
2018年7月1日日曜日晴れ時々曇り。
~バディ・ランゲージ・6~「晴れてプール開き」
本日から2か月間、待望の屋外プールは全国一斉のようなタイミングでの開幕である。小さな丘を越えて歩きで約20分の9時入場。日曜日と重なった朝から車が数珠つなぎになって待っていた。しかし駐車台数は十台程度だから、ファミリーといえども混み合うはずもない。番頭との初泳ぎは、空いているのと水質水温とも快適で、600mを余裕クリアー。人出のまだない9時半退場、10時帰宅という手際の良さだった。夕方、買い物のついでに隣町の市民プールにも視察に行ってみた。わが街より数倍大きい都市なのだが、施設は同程度だった。いろいろ不満はあるが、まずは近所にこの50mプールがあることを感謝せねばならない。
※本日誌※9時からAoの屋外プール開き。9時半退出。夕方隣町肉屋、GGM。白サラミ、豚角きり落とし、牛タン。

※「HITTTABLE」は半年原本紛失。追加版は1位の連続性重視で2位以下不正確。ハップニングスの「アイ・ゴット・リズム」がやっと№1になったが、タートルズの2枚目にあっさり陥落。全米もヤング・ラスカルズの「グルーヴィン」をあっさり超えたのは、アソシエイション。タートルズより上だ。新人新曲は下位、無名のサジタリアス。「マイ・ワールド・フェル・ダウン」が登場。今聴いても凝ったつくりは、進みすぎていたのかもしれない。後年、彼らの2枚目にして最後のLP「ブルー・マーブル」を購入。ちょうど月着陸の時代に、地球の全体写真のジャケットがかっこよかった。当時のチャートは※billboardcharts/hot-100/1967-06-24で。バックテーブルは※//backtable1964.blogspot.jp/まで。

L金物変更
テーブルのL型金物の解決策をバトに指示。
2016年金曜日曇り。「そろばん塾でスケッチ」
2015年水曜日雨のち曇り。「バックページ~命日の記憶・32」※リンクあり
※エリック・サティ、1925年7月1日、 1866年生の69歳。死因は肝硬変。当時は異端児だったらしいが、ドビュッシーもラベル・・・音楽の印象派はこの人の後に続いた。サティの名を知ったのは学校ではなく、1968年大学へ入学してすぐ、音楽喫茶で流れた※blood,sweat &tearsのセカンドアルバム冒頭の※Variations On A Theme by Erik Satie (1st and 2nd Movements)。当時画期的なニューロック、続くオリジナルとの繋がりも含めて、クラシックが新鮮に聴こえた。しかもニューヨークの冬の情景が浮かぶ。結局今でもこれら2曲が最初で最高、偉大。
16x邸模型1回目。夕方からターンにて輪行、sk駅下車、現場様子見して04y邸へ。19時打ち合わせ。20時半帰路。途中Sg駅中輸入惣菜店で、キムチとペッパーボロニア。
「簡単計算その2~昨今の話題」数を表す線を紙に描くだけで、その交点を数えれば掛け算の答えが出るという話にハマってしまった。これは14x様の仕掛けかもしれない。紙に線を描かなくても交点の数の数え方で答えは出るが、暗算となるとやはり少ない数同士の場合にしか当てはまらない。一通りあれこれ考えて、やはり暗算は九・九の暗算から出発していることが基本。それなら、せめて九十九・九十九を暗算で出したいなと思うに至った。はじめは11×11=121から。ところで暗算の背骨は二乗ではないか。古くなるが山茶花究3×3=9とか獅子文禄4×4=16とか八波むと志8×8=64とか昔の人は二乗に親しんでいた。
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| 落果が少ない |
丹人にて7時発7時40分、13y邸現場着。既にタケちゃん組4人、ダリ切り込み。13y様は既に入場。建具柿渋とベンガラ塗り。打合せは奥様と、寝室抽斗のツマミ決定。トウさんとユウくんは玄関土間配線隠し。ジナガスとダヤ設備は、9時過ぎ入場のバト対応。タケちゃんは玄関土間式台開始。その玄関土間天井の配管隠しはやはりタケちゃんの腕で仕上がり。風呂蓋の一部切欠きのスケッチ。17時過ぎ帰路途中最寄スーパーKs、6pチーズ、サイダーゼロ、アーモンド。スポーツクラブ直行。レッスンはマカ先生のヨガのみ。20時半過ぎ帰路途中国道スーパーGc、ジャージー牛乳、さば味付け缶、さんま塩焼き、マカダミアナッツ、卵、餃子、白菜キムチ、炭火鶏、豚薄切り、豆腐、ばちまぐろ。
2013年月曜日晴れ。
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| レンガ壁前の水皿 |
水泳はもともと海や川でするものだった。それが戦後或いは高度成長期に、自然そのものが汚染されて、人工的なプールで泳ぐとなって、さらに温水プールで年中するものということになった。若い時に4月下旬には外部プールで練習してきた経験を持つ者には、やはり屋外プールの魅力は、海とは違った独特のものだと思い、感じる。自然と人工の接点、或いは新しい自然ということかもしれない。
早朝散歩なし。メゾンより給湯漏水の一報。10時メゾン。給湯設備の会社社長との通話不通で出入の設備業者に応急手当を頼む。運よく手配ができて10時40分完了。11時半高級スーパーに立ち寄って12時帰宅徒歩。13時すぎ半ボイラー設備の打ち合わせ。15時半帰路、小若お迎えして番頭と市民プール開きに参加。17時半帰路。駅前スーパーにて、プレモル、ヱビス、、生クリーム、豆腐そうめん風、卵、あじたたき、カツオタタキ、真ダコ、もやし、きゅうり。老舗肉屋で、コロッケ、メンチカツ、とんかつ。メンチカツ小若4枚独占。ブログ。
2012年日曜日雨。
いつものように遅めの起床、遅めの朝食。何をするという事もなくお昼前まで。早い昼食は冷や飯が貯まってきたので、久しぶりに炒飯づくりにかかる。昼食後プロシードでメゾンへ。12時半過ぎ、アンケート朗読と七夕会の準備でワークショップの方々と集合。皆和気あいあいと楽しそう。13時半から開始。新しく参加された方が3人、4人、5人と増えていく。早くも成果あり。30分ほど皆で読みまわして以降フリートーク。長老の方からの意見に耳を傾けながら、今後の行程に思いを馳せる。16時過ぎて小若を迎えにプロシードを走らすが、その時に限って集中豪雨。何とかメゾンに帰還したが、会もお開きになったところ。小若家族と夕食。19時帰路。明日に備えて早めの就寝。





