2025年11月16日~親友チャットさん~「ポップス千載一遇・初代ジャニーズ・2」
道楽草michirakusou
「親友チャットさん」《見本文:私の1966年秋》
1966年の秋、私は高校二年生。アメリカではザ・アソシエイションの「チェリッシュ」がチャートを駆け上がっていた。9月下旬には全米1位を記録している。
日本でこの曲が流行っていた記録は見当たらないが、後年デヴィッド・キャシディがカバーして少し知られるようになった。私にとっては、まったく別物に思えた。
半世紀ほど後、2010年代後半。パット・メセニーのギター・ソロで「チェリッシュ」が甦ったとき、私は胸を衝かれた。
幾多ある60年代の曲の中から、彼がこの曲を選んだ――それだけで、不朽の名曲である証拠だと思えた。
テリー・カークマンの作曲。あの柔らかな旋律と、男性だけのコーラスが生む包み込むような響き。
フォー・シーズンスともビーチ・ボーイズとも違う、静かな高揚がそこにはあった。
私は当時から、こうした“ソフト・ハーモニー”に惹かれていたのだ。
ちょうどその頃だったと思う。
ラジオの深夜番組で、初代ジャニーズの四人が渡米体験を語っていた。
この夏ロサンゼルスで数曲を録音し、アソシエイションと同じプロデューサーが手掛けたという。
デモテープの一部が流れ、冒頭の「I remember the word…」というフレーズを今も覚えている。
リードはアオイ輝彦だろうか。ハーモニーの厚みが日本人離れしていて、胸が高鳴った。
だが、その後その曲はどこからも流れてこなかった。雑誌にも載らず、まるで夢の出来事のように記憶は薄らいでいった。
それから六十年。微かな記憶を頼りに調べてみると、山下達郎氏のラジオ番組でこの渡米録音が特集され、
実は彼らがアソシエイションの大ヒット「ネヴァー・マイ・ラヴ」を先に録音していたことを知った。
なるほど、私の耳は間違っていなかったのだ。
十七歳の少年にも、本物を嗅ぎ分ける感覚がちゃんとあった――そう思うと、今も少し誇らしい。
このトーンなら、第一部から自然に続くように書けて、
次章(1967年=ポップス終焉期)への橋渡しにもなります。
💡次にこのエピソードをどこに位置づけたいか(第一部の終盤か、第二部の導入か)をお聞きしておくと、全体の構成提案を立てやすくなります。どちらを意識されていますか?
「私の答え」 第二部は第一章1965年、 アルバム PPMのフォークの終焉から6月バーズのフォークロック・・ 一人っ子生活の音楽三昧 第二章、1966年 マイチャートHITTABLEからビーチボーイズのペットサウンズ5月のアルバム、以降のポップスの品質洗練化・・水泳とポップス三昧も水泳部慣例の高2年、9月で現役引退、 1967年サマーオブラブ百花繚乱・・高3年受験に明け暮れもポップス三昧、となります。1966年は中でも、成長の中で何かが固まっていく鳴動があって、ものすごく魅力的な年でした。1968年は第三部、「恋は水色」とか「ハニー」などが大ヒットして、もはやヒット曲は要らない、という終焉。東京一人暮らしで、時間も勉強も余裕、じっくり聴けるアルバム三昧の走り。2分半のマジックにもこだわらなく。人生もっともっと複雑に生きていかなきゃいけない意識。フォークもポップスもさようなら。私も時代も同時進行で、そうなった。「チェリッシュ」の頃は、第2部第2章、名曲がいっぱいある章。
あなた:
ChatGPT:
1 中地 こころ立命館大4 15’53″03 2 山本 釉未ユウミ立命館大1 16’01″45 3 藤村 晶菜ノーリツ 16’05″22 4 村松 灯トモ立命館大4 16’07″23 5 土屋 舞 マコト立命館大3 16’09″88 6 太田 咲オオタ サユキ立命館大2 16’13″86 7 古西 亜海アミ明治国際医療大3 16’38″20 8 平野 文珠 アヤミノーリツ16’40″17 9 福永 楓花フウカ立命館大4 16’44″49 ※本日誌※9時20分前発、自転車でYu邸9時45分。改修のご相談を受けて、12時55分退場。13時半帰宅。
2022年水曜日晴れ一時曇り。~粋栖A-be友旅追想・2017年のスイス旅の回想記297~ 「アルザスの珠玉24」2021年11月16日からの続き。振り返りながら写真を撮るも、とうとう広場に入ってきた。エギスハイムの円の中心に教会があるというなんともわかりやすい。正面にファウンテン。周囲をお店が囲んでいる。外壁のメンテ中はフランス料理レストランということが、※ピンポイントビューでわかる。※Caveauというお店の中も見れる。当時は、入ってみるという選択肢はなかったが、それはそれで、今になって見れるわけだから。 
*本日の日誌*7時半前発、人輪でYd邸8時半過ぎ。ハルクの製作建具受け取り、引違い建付け。収納、内壁終了。13時前Ndの湯、イワシ干ししょうゆ焼き。15時前退出、16時過ぎAs駅前地下Nd牧場、加工肉製品。16時半、Spクリニックの指示でStM病院でMRI検査。一旦帰宅後、結果をもって18時半Spクリニック。18時50分過ぎ帰宅。
2021年火曜日晴れ一時曇り。~粋栖A-be友旅追想・2017年のスイス旅の回想記296~ 「アルザスの珠玉23」

2022年11月14日からの続き。エギスハイムの市街へ入ったところで、何枚もの写真を撮っているが、左の写真はそこで振り返ったもの。右にピッツエリア左のピンク色の1階壁に鳥瞰案内板があった。緑の見えるところは砦の外の畑。進入路を進むとすぐ広場に出てきた。右の写真と同じアングルが※マップにもあった。※Paul&schneiderというワイナリーだった。この写真も振り返りなので探すのに苦労した。でも振り返らざる得ない建物では仕方ない。3階建ての1階はセットバックに入り口扉。2回は左右に開き雨戸の窓。ここはなんと※宿泊アパートメントだった。小屋裏の開口部は建具のないテラスがあるのか、暗くメリハリが効いている。*本日の日誌*8時10分発、バス人輪でKyd邸9時前。Sstrs、チタさん。15時20分過ぎ退出、20分で下りサイクリング、15時40分過ぎ帰宅。
被告は、田中孝博被告と次男、広告関連会社の元社長(39)。「民主主義への挑戦」とも言われた出来事の全容解明が期待される審理だが、首をかしげる関係者が少なくない。リコール運動団体のトップだった美容外科経営、高須氏の供述が明らかになっていない。捜査は尽くされたのか。
廻日録kaijitsuroku2020年~2007年の11月16日
2019年11月16日土曜日晴れ。~粋栖A-be友旅追想・149~「バーデン丘散策・15」




アシスト石段

仕事が忙しいか、熱中してしまうせいか、ブログの更新が滞ってしまいがち。遅れが1か月超えてしまうと、さすがに気持ちも萎えてくる。毎日の記録やスケッチ、レシートの整理などは思い立ったときにまとめられる。問題はキーボードへの入力だ。文字入れや画像はめ込みなどパソコン作業に疲れることしばしば。まるで「キー」それぞれに家主がいて、打つことが億劫になってしまうような。
![]() |
| ラフスケッチ |
午前Nm駅前確認センターで16x邸書類訂正。午後再度、確認書類受け取り。帰路途中スポーツクラブええt、ピラティスマンツーマン。帰路途中、国道スーパーGct、糖質ゼロ麺、バター、ハイミー、黒ゴマ油。続いて鶏専門店Ty。
2014年日曜日晴れ。「傾斜側廊・1」
この日の想いを書くのに随分日にちがたってしまっている。当日朝から思い立って、Kbt神社に詣でることとなった。きっかけは御釜の神事にまつわる新聞記事だが、本殿から続く長い廻廊が、見所だと知ったこともある。お宮や御殿を結ぶ渡り廊下は直線だから、廻廊というより側廊と呼んだほうが適切かもしれない。長いだけではなく、アップダウンの傾斜がついているところが、気が気でならなくなった。
早朝、電車。10時前新幹線にて番頭と小旅行。車中でイノブタジャーキー。隣県のKbt神社へ12時前到着。七五三で境内は賑わっている。神殿の造りも有名だが、延々と続く渡り廊下も他に見当たらないほど。神釜の行事も上田秋成で有名、巫女さんの好意で中を見学。その後背後の山からちょっとした山歩き。コンビニSeで取りから揚げ、スモークタン、カマンベール、プレモル、バウムクーヘン。15時過ぎ帰路。
![]() |
| 中央吊り |
2013年土曜日晴れ。 続きを読む >>




